MONTHLY FOCUS Vol.02「ブラジリアの光と陰」(2001.6.9)

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Script by スミタニ チヒロ
Date:2001.6.9
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 ボサノヴァはお好きですか?一般的にボサノヴァは夏の音楽っていうイメージがあるけど、じとっと暑い日本の夏よりは、今みたいな初夏の風が似合う音楽だと思わない?青い空、白い雲、どこまで続く砂浜、書いてて恥ずかしくなってきます。でもやっぱり好きなモノは好きなんです。軽快なギターの伴奏と、流れるようなメロディ。でもその裏では一つの国のが激動の歴史が隠れてたりする。今回はそんなお話。


#1

 ボサノヴァはお好きですか?90年代以降は特にボサノヴァの要素を取り入れた音楽が増えてきて、なんとなくみたいな感じで一般には認知されているけれど、昔の話。僕がたまたま▼ジョアン・ジルベルトのCD [CD]を持っていた時に、当時好きだった女の子に「それ、何のCD?」と聞かれてボサノヴァと言ってもわかってもらえず、とても大ざっぱに「ブラジルの音楽だよ」って答えたら変な顔をされて「何でそんなモノ聞くの」と吐き捨てる様に言われた事がある。今思い出しても泣けてくる思い出だ。きっと彼女はサンバカーニバルの格好をした人が、太鼓と槍をかかえて踊っている姿でも想像したんだろう。その時の顔にそう書いてあったのが見えた。何より自分の説明が下手だったのが一番悔まれる所だけど、それにしてもまさかそれを「変なもの」あつかいされるとは夢にも思わなかった。その場でギターでも取出して一曲聞かせてあげられれば良かったのに。うん練習しよ。

 最初のボサノヴァの曲と言われる「シェガ・ジ・サウダージ」が演奏された1950年代後半、ブラジルでは一つの大きな国家プロジェクトが進行していた。その名は「アムネジア」ぢゃなくて「ブラジリア」。時の首相であったジョゼリーノ・クビチェック大統領(通称JK)は、失脚した前政権との交代劇のゴタゴタに乗じて、それでなくてもあまりよろしくない経済状況の中「遷都」というトンでもないプロジェクトをブチ上げて就任したのが1955年。「50年の進歩を5年で」をスローガンに、多額の予算をつぎ込んで首都の移転とそれに伴う交通の整備、近代的な建築物の建造と農地改革を断行した。

 そもそも何で?という疑問に対する答えはいくつか挙げられる。そもそもブラジルでの遷都計画は100年以上も前から研究されていて、内陸部の開発によってリオやサンパウロといった海岸部の人口圧力を緩和させるためとか、首都を海からの外敵襲撃がより少ない内陸部へ移すためとか表向きには言われている。でも実際の所は国内の構造的な不満をよそへそらすためだった役割が大きい。つまり、例えば当時大農業立国であったブラジルで、農地改革だけ行って小作民を優遇すれば地主が不満を持つし、では地主を優遇すれば今度は軍部が不満を持つし、軍部を優遇すればファシズムが...この悪循環を断ち切り、上手い具合になるべくみんなに利益をもたらす方法として「ブラジリア計画」は始められ、ブラジルは短い夢の時代に突入した。

 「現代建築を愛する者なら、ブラジリアを見ずして死んではならない」という言葉がある。リオ・デ・ジャネイロから1200km程西北西に入った、標高1100mにある内陸の本当に何もない5,814平方kmの平地に、まるで翼を広げた鳥かジェット機のような形をした都市設計を施したのはブラジルを代表する建築家であるルシオ・コスタ(Lusio Costa)。そして主要な公共施設を設計したのはニューヨーク国連本部ビル(写真)の設計も手がけたオスカー・ニーマイヤー(Oscar Niemeyer)で、彼もブラジル出身の建築家だ。彼等は「建築とは、人間が住むための機械である」の言業を残したル・コルビジュエの流れを組むモダニズムの都市デザインを全面的に取り入れ、本格的なモータリゼーションを先取りし、段階構成の道路網で街を覆った。そしてそこにモダンと言うよりはもはやアーティスティックと呼べる建造物を数多く建てた。その街並みは、今見ても充分SF的である。もう街全体が一つの作品なんだけど、中でもニーマイヤーが手がけたカトリック大聖堂(写真)国会議事堂(写真)は世界的に有名になった。

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 さて、ブラジルの法律では大統領は再選することが出来ない事になって(現在は改正されて)いる。こ れはかのブラジリア計画をブチ上げたJKことクビチェック大統領の前任者であるヴァルガス大統領が、無血クーデターの末一度失脚しながらも自殺するまでの8年間、独裁政権の座に座っていた結果、政治腐敗と不況を引き起こした事からくる反省だろう。だからクビチェックは当時5年あった大統領任期(現在は4年)の間に何としてもブラジリアを完成させなければならなかった。かくして建築は昼夜問わず突貫工事で行われた。(写真)東北の貧農村分から大々的に人手を集め、何千キロもある幹線道路を整備して鉄道も引いて空港も作って、最初はだだっ広い平原に十字路しかなかったこの土地に、一大ユートピアを作り上げた。

当時経済的危機にあったブラジルは、この建築バブルに踊った。移民の国ではあるけれど、長い間ヨーロッパ的支配下にあったこの国には、政治家と軍部は別にして、10%の地主や金持ちが、残りの貧民を支配する階級構造の社会だったんだけど、このバブル景気のおかげで更に中産階級という新しいヒエラルキーが生まれた。そしてボサノヴァとは、その「中産階級」の音楽として誕生した。ブラジリア計画のまっただ中である1958年の事だ。(次のページへ


:: notes ::

ブラジリア

(Bladiria)
[img:ブラジリアの街並み]
市街中心部にあるTV塔から湖に向けて。
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都市設計を施した

(Lusio Costa)
[img:ブラジリア鳥瞰図]
飛行機の設計図ではなくて街の鳥瞰図。上から左右に広がる黒い部分は人工的に作られた「パラノイア湖」頭の方には行政区、両翼は居住区で下には駅がある。
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ル・コルビジュエ

Le Corbusier (1887 - 1965)
[img:ル・コルビジュエ]
スイス時計産業の中心地であるラ・ショード・フォンに生れ、同地の美術学校に学ぶ。後にパリに移って建築家として都市設計の理念を確立し、近代建築の父と言われている。代表作として有名なサボア邸や ロンシャンの礼拝堂はぜひパリに行く機会があれば見に行く事をオススメする。日本には彼の作った建造物がないので、どちらかといえば家具を作る人として有名。1933年にリオの大学都市設計に関わり、1936年にもルシオ・コスタの招きで同教育保健省ビルを共同設計。この時ニーマンらは彼から都市設計の薫陶を得た。彼の都市設計論はブラジリアの設計理念に多大な影響を与えている。
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本格的なモータリゼーション

(motor resection)
[img:モータリゼーション]
6車線もあるメインストリートの周りには副道やロータリーが整備され、極力信号を使わない交通網が引かれ、歩道と車道の分離も行われている。
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:: Recommends ::

ジョアン

[CD Album]