MONTHLY FOCUS Vol.02「ブラジリアの光と陰」#2

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Script by スミタニ チヒロ
Date:2001.6.9
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 日本列島改造論なんか目じゃないスケールで繰り広げられたブラジリア計画は、61年にブラジリアが遷都を宣言した事によって、この時点では一見成功していたかに見えた。4年に渡る突貫工事の末確かに首都ブラジリアは完成したし、大きな道路も出来たし、雇用も拡大して国も潤った。ついでにサッカーも強かった。しかし世の中はそんなに上手くは出来ていない。この大計画をブチ上げた大統領がいなくなると、それまで忘れていた問題がいくつも出てきたのだ。まず肝心の農地改革が全然出来ていなかった。そして建築費のために他国に借金をしまくり、紙幣を乱発したおかげでブラジルは強烈なインフレに陥った。ひどい時期で月150%のインフレ率、つまり月始めに100円だったモノが月末には150円になっているという経済状況に陥った。後任の大統領でなくとも、誰もこれを何とかすることは出来なかった。かくして後任であるクアドロスの突然の辞任、深刻化するインフレと各地で起こるストライキ。たまりかねた軍上層部は1964年の3月、クーデターを起こしてブラジルはまた軍事政権下に逆戻りする事になる。そして、それまで「おお太陽よ、青い海よ」と歌っていたボサノヴァは、暗い時代に飲み込まれ人々の間から忘れられて行くようになる。ここで、ブラジルにおける正統なボサノヴァの歴史は幕を閉じた。ブラジリアと共に生まれ、短い時代を駆け抜けた夢の音楽の終焉だった。

 その後のボサノヴァは主にアメリカで発展する事になり、しかも我々の耳になじみ深いモノはここから生まれた曲の方が多かったりする。ついでに手に入りやすいモノも。

 まずボサノヴァ終焉前夜の1963年にアメリカで歴史的名▼ GETZ/GILBERTO [CD] が制作され、これが世界的にヒットする事になる。世の中のほとんどの人はこれでボサノヴァを知ったと言っても過言ではない。しかも何が受けたかって、たまたま通訳として同行していたジョアンの妻アストラッド・ジルベルトがちょっとやってみなよみたいな軽いのりで歌った、しかもご丁寧にジョアンのポルトガル語で歌っている1番をカットして、アストラッドの英語で歌うヴォーカルとスタン・ゲッツのSAXによる「イパネマの娘」のシングルがとにかくヒットしたんだ。

 そしてそれを期にJAZZシーンに取り入れられたボサノヴァは、独自の進化を遂げて現在も演奏され聴かれているし、僕たちに馴染みのあるボサノヴァって言うのは、やっぱりこっちの方なんだ。とにかくシンプルなスタイルにこだわったジョアンの、ギターと歌だけで演奏されていたボサノヴァに、ドラムが加わり、ベースが入り、管楽器も加わって、それはJAZZ化あるいはPOPミュージック化していった。

 本国ブラジルではボサノヴァという音楽があった事自体がすっかり忘れ去られる事になる。あるいは軍事政権下に祖国を逃げ出してアメリカに渡った(そして成功した)ジョアンやトムたちは批判の的だった。それでなくてもブラジル人のアメリカ嫌いはフランスと並んで筋金入りだ。何せ昔からアメリカの圧力は常に彼等の都合のいいようにブラジルを動かして来たし、先のクーデターもアメリカの肝いりだったんだから。そしてこれらのわだかまりが解消されるには80年代まで待たなければならなかった。

 ボサノヴァが忘れ去られたと言っても、全ての存在が否定された訳ではない。ジョアンが編み出したスタイルはその後の歌謡曲に取り入れられ、「第二世代」と呼ばれる多くの改革が行われた。そこからMPBというジャンルが確立される事になるし、素晴らしいアーティスト達が登場している。って言うか我々がボサノヴァと勘違いしているアーティストなりサウンドなりはこのMPBからのモノが多い。何度も言うようだけど、僕たちにとって馴染みのあるボサノヴァも含めた近代のブラジル音楽ってのはここら辺なんだ。代表的な所にマリーザ・モンチーなんかがいる。彼女が2000年にリリースした▼アモール・アイ・ラブ・ユー [CD] は、ボサノヴァではないけどその影響を踏まえつつ今のブラジル音楽を知るにはとても良いアルバムだと思う。個人的に好きなのも大きいけどね。

 日本でのボサノヴァは当然アメリカ経由で入ってきたモノがほとんどで、こちらはこちらでムード歌謡と結びついて独自の、そして変な展開を見せる。そして名前だけが一人歩きして「タイトルだけボサノヴァ」とか「イントロだけボサノヴァ」といった曲が乱造され、そんな風に定着していった。勿論JAZZからのアプローチや正統派なスタイルのボサノヴァもちゃんとあったけど、これを一般レベルに認知させるには、1989年にデビューした小野リサの出現を待たなければならない。彼女は一般的にボサノヴァシンガー的な扱いを受けるけど、むしろサンバやショーロなどのスタイルの曲も多くて、しかもJAZZ好きな事も有名で丸々一枚スタンダードナンバーをカヴァーしたアルバム▼DREAM [CD] なんかも出している、どちらかと言えばMBP寄りのアーティストだという事を一応書いておこう。勿論正統派のボサノヴァも歌うし、彼女によってそれは耳に入る機会も多くなった。

 1961年ブラジリアに遷都が宣言されてから2001年でまる40年が経った。それは同時にボサノヴァの歴史でもある。現在のブラジリアは、首都として180万都市としてモダニズム建築のメッカとして発展している。一方ボサノヴァの方は時代や文化に併せて変形しながらも世界中に広まってその地その国の音楽に大きな影響を与えた。

世紀末は原点回帰や原理主義が台頭する世の中だったみたいだけど、このボサノヴァも99年から2000年にかけて、また再評価されている。2000年にはジョアンの娘であるベベウ・ジルベルトのアルバム▼タント・テンポ [CD] がリリースされ、セカンド・ジェネレーションの出現を予感させた。そして御大ジョアン・ジルベルトも完全に弾き語りだけのニューアルバム▼ ジョアン声とギター [CD] をリリースしている。これもすっごい意外なんだけどジョアンの完全に弾き語りだけをスタジオ録音したアルバムがリリースされたのは、ボサノヴァ40年の歴史の中で、これが最初なんだ。そしてこれこそがジョアンの求めていたボサノヴァだったのかもしれない。アルバムの一番最後に収められている曲は、あの最初のボサノヴァである「シェガ・ジ・サウダージ」だった。僕はこれを聴いたとき、何だかボサノヴァというジャンルとかスタイルとかを超えた一つの世界観が、40年という時間をかけてぐるっと一回りして戻ってきたような気がした。

 いつも夏がそうであるように、今年の夏もラジオや店先のスピーカーからボサノヴァが聞こえてくるだろう。そんな時はちょっとおしゃべりを止めて音楽に耳を傾けながら、1つの国、1つの音楽が辿った40年の歴史に思いを巡らせてみて欲しい。

参考書籍:
「ボサノヴァの歴史」宝島社
「BRUTUS/1993/No.305」マガジンハウス
「casa BRUTUS/2001/No.13」マガジンハウス

:: notes ::

「日本列島改造論」

1970年代
昭和47年、時の首相田中角栄によって提唱された、農地改革や道路整備や公共施設建造なんかを一気に行うプロジェクト。これが日本の政治の土建屋体質を作り上げたと言われている。
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サッカーも強かった

ブラジルサッカー黄金期
そりゃ強かった。当時の代表チームはサッカーの王様ペレの活躍で、ワールドカップ4連覇の偉業を成し遂げる。これ以降ブラジル=サッカー王国と見なされるようになるが、未だ当時のレベルを超えてはいない。
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MPB

(Musica Popular Brasileira)
ブラジルのポップサウンドのコト。明確な定義はないが、ボサノヴァ以降の音楽で、ボサノヴァに大きく影響を受けたヴォーカルミュージックを総称してこう呼ぶ。
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:: Recommends ::

アモール・アイ・ラブ・ユー

[CD Album]

DREAM

[CD Album]

タント・テンポ

[CD Album]

ジョアン声とギター

[CD Album]

GETZ/GILBERTO

[CD Album]