昔、若かりし頃はかなりパチンコ、パチスロをやっていましたが最近ではめっきりやらなくなりました。自分が住んでいる町にあったパチンコ屋が2025年に電撃閉店したのも1つの理由ですがやはり大きな要因は「お金がかかりすぎる」と言うものです。
パチンコ、パチスロって「3,000円が運がよければ20,000円位になる」程度がちょうど良いと思うんですよ。そういう台がメインの中でたまにギャンブル台みたいな「30,000円が運がよければ80,000円!」のような台が少数あるような棲み分けが健全のような気がします。
今はパチンコもパチスロも「70,000円入れて舞台に立てて上手くいけば200,000円!」みたいな台ばかりになってしまいました。勿論舞台に立ててからが勝負なので当たり前にしょぼ終わりする事の方が多いですね。70,000 円入れてしょぼ終わり……。悲しい。
家にいて暇な時に今の最新機種を打っている実践系YouTuberの動画を見る事があるのですがまぁ1万円札が吸い込まれる、吸い込まれる。
そのお金あったら海外旅行で2泊出来たよ!位のお金が消えていきます。……簡単に言うと『金銭感覚がバグってる』状態ですね。
確かに僕が若かった頃。パチスロ屋が首都圏の駅前に大量にあった時代。そんな所謂『4号機爆裂時代』を僕も体験してるからわかるんですがその時のほうが「1万円チャレンジ(予算を1万円と決めて打つ)」とか出来たような気がしてます。
今の台ではなんかそれが出来ないような作り(ここでやめたら次の人にハイエナされてしまう!みたいなポイントの蓄積が多すぎる)になっているような感じ。行動経済学で言うところの“サンクコスト効果“ってヤツです。台を作ってる人はやはり賢い。
……と、長々と書いてしまいましたがここからが本題。パチンコもパチスロも最近アニメ版権の作品が多すぎです。それもラノベ系とか異世界転生系が多い。
最近打ってない原因の1つがこれがあったりします。「原作知らんがな!」ってヤツ。本当にわからない版権だらけ。
別に原作知らなくてもローリスクハイリターンなら打つんですけど熱いポイントもわからないですしボーナス中に流れる音楽も全くわからない。制作者側としては「アニメ版権にしておけばパチンコ、パチスロの知識がないユーザも打ってくれるだろう。大負けして2度と来なくてもその1回目で大量にお金を落としてくれれば良い。ファンの母数はまだまだ多い」みたいな感じなのかれません。ある意味人の心を無くした集金マシーン、鬼畜です。
好きなアニメがパチスロになったでござる
実は原作が人気であればあるほど良いバランス、良い演出がしっかりと機能していなければ長期稼働(稼働貢献週と呼ばれるらしいです)に繋がらないです。
理由は演出の手を抜いたり原作愛がない状態で台を作ると「このキャラはこんな事言わない!」とか「このキャラがこの演出で負けるのはおかしい!」と言うツッコミが入るのです。人気コンテンツだと台のスペックというよりもファンの数が多いので沢山の意見がでます。
逆に原作愛に溢れている人が気合いを入れて台を作ると色んな演出で「わかってらっしゃる!」と絶賛されます。この場合は負けても「この演出が出るまでやる!」とか翌日以降でも打ちたくなるキッカケになります。
確かに昔から版権モノを使った変な演出はありました。僕の記憶に強く残ってるのは『サラリーマン金太郎』と言う台で“野球拳演出“というのがあり、金太郎と女の子がじゃんけんして勝ったら当たり!と言う演出です。主人公の金太郎が銀座のスナックで女の子と野球拳をするのに違和感は感じません。
でも、野球拳に勝ってボーナスになる画面で金太郎は「サラリーマンをなめんじゃねえ!!」と啖呵を切るんです。
……おいおい野球拳(じゃんけん)に勝つのはサラリーマン関係ないから、と。逆にこの演出を見てたら「サラリーマンもなめられたモノだな」みたいな感想を持ったのを思い出します。
じゃんけんに勝っただけです
なんか今の版権台は「結果的に勝てたけどずっと虚無の時間が流れてたからもう打たない」みたいに思われる台も結構ある模様ですので『演出とゲームシステムがしっかり作り込まれていれば多少負けが続いてもユーザは繰り返し打ってくれる』説が濃厚になります。
あとはシンプルにゲーム性がしっかりしていればアニメとかに興味がない人もちゃんと打ってくれるし「この台のアニメおもしろいのかしら?」なんてパチンコ経由でアニメを見始める人が出てくると言う逆転の好循環が生まれる場合もあります。(エヴァンゲリオンはパチンコきっかけでアニメに興味をもった人が多かったとか……)
結論としては
・版権モノは最初は新規ユーザーを呼びやすいがゲーム性が悪いとすぐ客飛びする
・ゲームバランスがよければ版権関係なくお客様はつく
と言うことだと思います。
ただ、パチンコ、パチスロオリジナル版権だってあるのですから個人的にはそちらがもっと流行ってくれれば固定客は見込めるかもしれません。これは新規ユーザーを取り入れるのではなく引退ユーザーを思い出補正目的でカムバックされると言う力がありますので結構強力かもしれません。うまくいけばベテランと新規の会話の糸口になるかもしれませんし。あと原作使用料が発生しません。
ただ、やはりバランスと演出。
70,000円負けて「2度と打たねー」(当たり前)と70,000円勝っても「2度と打たねー」(なんで?)の違いってやはりそこなんです。
結論として『版権使っても良いけど版権の力を借りなくても「これは面白い!また打ちたい!」と思える台を作ってくれないと未来は無い』だと思います。
パチンコ、パチスロ業界はどんどん厳しい世界になっていきます。現状、版権に甘えてすぎなので今こそしっかりとした台を作って欲しいですね、その集客のために版権を使うのは良いとおもいます。
最近、同期が50歳になってゴルフにはまりまして川崎の定額制のシミュレーションゴルフに加入しました。その店は会員であれば友人2人まで同時に入ってもOKとの事なのでさすがに全額無料とまでずけずけしくは行かないですが月に数回食事をご馳走すると言うことで同伴させていただいております。あ、ゴルフにハマっていると言ってもまだ実際にコースに出た事はありません。
その同期とは10年位前に同じように打ちっ放しにハマった時期があったのですが結局コースには出ませんでした。ちなみにその同期は左打ちだったのですが今回をきっかけに右打ちに変えると。
数週間の葛藤の後、彼は無事右打ちになったのですが、そこからは「いかにまっすぐ飛ぶか?いかに距離を飛ばすか?」に発展。
しょぼく見えるけれど安いし問題なし!
同期も僕も1回だけレッスンプロに教わったので”イロハのイ”はわかったのですがそれはアイアンの話。ドライバーの打ち方は習っていません。
そのうちに「自己流だとけっこう飛ぶ」と言う時期を経て「ここはきっちりとフォームを固めよう」と言う時期にはいります。この間わずか1ヶ月。Youtubeをみながらお互いに指摘し合う時期にはいりました。同期はのめり込むととことんのめり込むタイプで僕には時間があるので「パチンコとかするよりは健康的だよな」って感じで付き合っている感じ。でも凄く楽しいです。
Youtubeをみてフォームを直すと言う工程なのですけれど、僕達はシステムエンジニアなので結構理系で考えられるんですよ。体重の置き方とか足の幅など。シミュレーションゴルフの場所にiPadを持っていってYoutube見て打つ、また見てまた打つ……の繰り返しですが不思議と苦にはなりません。
シミュレーションゴルフにはカメラ機能ってのがありまして自分のフォームを映してくれるんです。それを見ると「ザ・素人」みたいな打ち方でして、同期はフォームは綺麗なんですが飛ばない。
また試行錯誤の時期になりました。
その時に同期が僕に言ったのは「お前、エゲツナイほど後ろまでクラブをひっぱれるな。どうやったらそこまで後ろまで引っ張れるの?」と言うものです。
僕は意識してなかったのですが奇跡的に上半身のフォームはよかったみたいで、同期の「スイング前(引っ張る時)の右足と打った後の左足はまっすぐ!」という指摘を直したら無事綺麗なフォームになりました。
僕の身体は筋肉ゼロに近いのでパワーは無いのですが体幹は良かったみたいです。そういえば会社の福利厚生でマッサージを受けている時も「筋肉のつき方が良いからとても治りやすい」と言われた事を思い出します。
しかし僕は全然トレーニングをしません。運動もしません。散歩は好きですが身体に負荷をかけるような動きはしません。
「それなのに何故だ?」
と思ったんですけれど、これは僕が北海道に生まれたのが原因なのかな?と思い始めました。
日本には四季がありますが、とりわけ東北・北海道の冬は雪ががっつりと積もります。
そうすると北海道の冬は雪道がデフォルトになるのですが天候の関係で路面がアイスバーンになる事が多々あります。道民は子供の頃から転ばないように歩き方を実践でたたき込まれます。これが体幹が非常に影響していると思うんですよ。
去年、49歳で北海道に帰省した際も2月という雪が沢山降るシーズンでも関東で履いているスニーカーのままで1度も転びませんでした(厳密には普通の段差で1回だけ転びました)。今でも雪道を革靴でもスニーカーでも歩ける自信があります。これってやっぱり体幹なんだろうなぁ〜と。
こんな雪道を歩きました
僕は前屈はあんまり出来ませんし運動神経はほとんどありません。でも言われればある程度身体は動くんです。スタミナはゼロに近いです(以前フットサルを経験した時に痛感しました)が、サッカーやバスケットボールではないスタミナを要求される運動以外だとけっこう行けるのかもしれません。
でもそれは僕が特異体と言う訳ではなくて、道民の血なのもな?と思った次第です。
なにせ北海道は『試される大地』。そこ出身の人間はけっこう強いのかもしれません。
みなさんは体幹、どうですか?
おぎやはぎさんのラジオを聴いていたら何かのきっかけで崎陽軒の話題になって矢作さんが「崎陽軒って言うとやっぱりシウマイ弁当だと思うけれど、実は 俺はしょうが焼き弁当が1番美味しいと思っているんだよね!」と言ってました。小木さんも好きみたいで「崎陽軒のしょうが焼きは1枚1枚ちゃんと焼いている!」と。
崎陽軒というのは横浜のお店でシウマイが有名です。中華街に崎陽軒と言う中華料理屋があるという訳では無くシウマイをメインとして弁当を作っているお店です。
さて、ラジオを聴いて俄然興味を持ったのですが、なぜかと言うと僕は今、川崎に住んでいて駅のコンコースに崎陽軒があるのでいつでも買えるからなんです。
いままで買っていたのは安心安全の“シウマイ弁当“。何も考えないで選んでいますが本当によく出来た弁当で具材が余れば酒のアテにもなります。ある意味絶対王者。
ある日、休日のお昼前に川崎駅経由で自宅に帰る機会があってのでここぞと思い“しょうが焼き弁当“を買ってみました!お値段は930円(2025年4月時点)、ギリギリ1000円札でお釣りが来るという弁当としては少々高いレベルですが駅弁とかは平気で1000円を超えてくる事が多々あるのでここは逆に『企業努力』と考えるのが良いですね。
購入!サイズ的にはシウマイ弁当と同じだと思います。
うーん、堂々たるフェイス!
シウマイが1個も入ってないので普段から崎陽軒を食べ親しんでる人じゃないと手を出しにくい(安牌のシウマイ弁当に行ってしまう)と思います。これは冗談抜きで崎陽軒のシウマイは関東のけっこうな駅で買えるという点が大きいのです。新人時代、荻窪のお客様から藤沢方面の寮に戻る時にとてつもなく疲れていたら新宿から小田急ロマンスカーに乗って崎陽軒のシウマイ6個入りとハイボールを嗜みながら帰ったものです。……懐かしい。
と昔話は置いておき、しょうが焼き弁当のしょうが焼きは4枚。1枚1枚にしっかりと味が付いていて「おお、これはちゃんとしたしょうが焼きだ!」と。流石に熱々の状態では無いけれど弁当と考えると非常に美味しい。
ガチでしっかりと”しょうが焼き”です!
小木さんが「しょうが焼きの下にタマネギが隠されてるから気をつけてね!一緒じゃないんだよ、崎陽軒は別々なんだよ!」と言っていたとおりしょうが焼きを別の場所に動かすと下からタマネギがお見えします。
タマネギは結構大きな形で残っていてザクシャリな歯ごたえ。たまねぎ感が凄く強くて全然しなってない。食感のアクセントとしては非常に良いと思います。
たまねぎ美味しい!!
しょうが焼き4枚全部食べてしまってからタマネギに手をつけるのは少し遅い気がするのでできるなら途中から手をつける事をおすすめします。こればっかりは事前情報が入っていないとわからないですね。事前情報がない駅弁のエキセントリックさってヤツですね。
付け合わせのポテサラは可もなく不可もないシンプルなポテサラです。ここは「このポテサラがとてつもなく美味い!」と言うわけではなくシンプルな箸休めのポテサラ。普通、実に普通。Simple is bestってやつ。
うん。ポテサラは普通。
ご飯はシウマイ弁当と同じ俵形8個なのでシウマイ弁当と同じく「俺ならこの順番で食べる!」ができるかもしれませんね。シウマイ弁当はシウマイの数とサイドを彩るサイドメニューが多彩ですが、しょうが焼き弁当はズバリ、メインとなる”4枚のしょうが焼き”の分配とサイドのポテサラ、たまねぎとお新香系しかないのでこちらの方がパターンは限られますが……
しょうが焼き弁当、とても美味しいのですけれど遠方の方が関東に旅行とかで来た際に初めて崎陽軒を買う時はやっぱり『シウマイ弁当』をチョイスして欲しいです。やっぱり崎陽軒のシウマイをたくさん味わった上で、その結果「たまにはしょうが焼き弁当も良いよね」位の感覚で捉えてもらえると良いと思います。
ごちそうさまでした!!
]]>朝の情報番組の占いで「今日のラッキーアイテム」などを紹介しているコーナーが個人的に好きです。ネットでも手軽に見ることができるため、若手と一緒に仕事をする際には「今日は○○に注意しよう!」と半分冗談交じりで話題にすることができます。占いを信じていない人でも、この程度の軽い内容なら話のネタとして受け入れてもらえるでしょう。何せ無料ですから。
星座は12星座、血液型は4種類しかありません。その少ない組み合わせで人の運勢が決まるわけがないと思います。さらに細かく分類していくと、人類の数だけ占いのパターンが必要になるでしょう。そのため、すべての人を個別に占うことは難しいのでカテゴライズするしかありません。その分類方法の中で、大衆に最も受け入れられやすいのが星座と血液型です。
個人的には、ここに「左利きの人」などのパターンを増やしてもらえると嬉しいです。例えば「魚座のA型の人、今日はスーパーラッキー!ギャンブルにチャレンジしてみては?」なんてことがあれば、魚座のA型で時間がある人はパチンコ店などに集まるでしょう。しかし皆が大勝ちできるかというと、当然ですが勝つ人と負ける人が出てきます。
お店(パチンコ屋)側は開店前に設定を決めているため、設定の悪い台に座ってしまった人は基本的に勝てません。占いの力で機械の確率を変えられれば良いのですが、それは不可能です。ホールコンピュータが異常値を検知すれば、占いどころか攻略プロとして出入り禁止になる可能性もあります。
私は、自分にプラスな占いは信じますしマイナスな占いは信じません。その程度のスタンスです。簡単に言えばポジティブシンキングというものです。この位の捉え方が良い考え方だと思います。根拠がなくても「そんなものだよね」と軽く受け流せるレベルのものは、生活のちょっとしたスパイスのようなものです。
たまには「ラッキー行動は“献血”!」というようなユニークな提案をしてみるのも面白いかもしれません。
さて、昔、年上の女性と渋谷でデートをしたことがありました。買い物はほとんどせず、食事をしてお酒を飲んで過ごしていたんですよね。もう一押しすればホテルに行くことも可能だったかもしれませんが、なぜか当時流行していた占いを受けることになりました。いわゆる「〜〜の母」と呼ばれる占い師が流行していた時代です。
「うさんくさいな」と思いつつも、女性も一緒にいたので喧嘩腰にならずにカウンセリングを受けました。その結果は「名前を変えなさい。今の名前が良くない」というもので、これに1万円近いお金を支払うことになりました。
芸人が売れずに改名して心機一転を図るのは理解できますが、「本名を変えろ」と言われるのはさすがに納得がいきません。この名前で28年間(当時)生きてきたのです。よくわからない占いで1万円を請求し、他人の人生に無責任な提案をする占い師という職業に憤りを感じた覚えがあります。
当時は占いブームだったため、「水に気をつけましょう」「横断歩道を渡るときは慎重に」などのイージーな占いが当たり前のように受け入れられていました。しかし「これをすることで人生が劇的に変わる」といった“強い”占いを求める人も多かったのかもしれません。占いは自己責任であり、料金を支払ったらそれで終わりなので警察も介入しにくかったのでしょう。
その女性とはこの出来事が原因で別れたわけではありませんが、その後はデートで占い師に占ってもらうようなイベントは避けるようになりました。
ちなみに、占いをエンターテインメントと考えると、コールドリーディングやホットリーディングといった決して“スピリチュアル”ではない技術的な手法が使われます。これには高度な技術が必要です。コールドリーディングの簡単な例としては、ゲストに事前にアンケートを書いてもらい、それを占い師が事前に読んでおくというものです。「ほら、当たるでしょう!」……それは当然です、本人が書いた内容を読んでいるのですから。ホットリーディングは”誘導”です。「あなたの親戚でペットを大事に可愛がっている人いたでしょう?」など大抵当てはまりそうな事を言いながらその人が故人である事がわかると「その人がアナタをみて悲しんでいます」みたいな感じで誘導するものです。
これらは占いではなく、あくまでも会話の技術ですね。
また、占いと宗教は異なるものであり、新興宗教には注意が必要です。彼らは自分の能力を肯定してくれるため、「誰も私を理解してくれない!」という孤独感に悩む人々の駆け込み寺となることがあります。承認欲求が満たされやすいため、気づかないうちに深みにはまってしまうこともあります。
そういう「心が安らげる場所」を提供してくれるのは嬉しいですが、多額のお布施を要求してきたり他の人を勧誘しないといけなかったり今の職をやめるほど(もしくは勧誘による人間関係の悪化で辞めざるをえない様な状況になる)になると取り返しがつかなくなってしまいます。
ってー事でテレビや雑誌の占いコーナーをライトな感覚で見るくらいが良いのではないかな?と言う感想でした。
くれぐれもほどほどに……。
ダウ90000の蓮見さんと、漫画「チ。」の作者の魚豊さんが話しているPodcast(『トキトケトーク』)を聴いた時のエピソードです。
あるテーマの中で「今の人って日本語が下手なんだよ」と蓮見さんが発言していました。
ちょっとそれ自体火力が高い発言だなぁーと思っていたのですが、その後に「下手だから相手を20%傷つけるような日本語を書けない。100%傷つける書き方しか出来ないんだよ。100%傷つけるのは簡単なの。『死ね』とか書けばいいから。でもさ、その人を20%位傷つけるような日本語を書けない人ばっかり」みたいな風に続けて発言。
これを聴いて「なるほどなぁ」と唸ってしまいました。
文字数が制限されているSNSでも日本語が上手い人はその文字数内で意味が伝わるような書き方をします。言いたい事を簡潔に纏められない人はSNSに課金して長文で書いたりしますが、現代の人に長々とSNS上に書いても「長いよ」って言われて読んでもらえない事が多いと思います。自分のブログとかnoteに書けよ、と。
相手に言葉でダメージを与えたい!(これはニュアンスが難しいですが”良い意味”と捉えてください)
でも日本語が下手だとどういう書き方をすれば良いかわからない。結果、主語が大きな偏見・決め付け・汚い言葉で書く事しか出来ないんだと。
……そう思うとなんか可哀想に思えてきます。絶望的に語彙力が無いのかも知れません。
また最近は形容詞もあまり色々なものを使わずに「ヤバい」の一言で済ませてしまう傾向があると思っています。
美味しくても「ヤバい」
綺麗でも「ヤバい」
本当に危ない人に対しても「ヤバい」
みたいな感じですかね。
“すごい”と言う言葉が”ヤバい”に置き換わっているとも考えられるのですが、本当に危ない人に対して「あの人すごいよね……」というのはちょっとニュアンスが違うと。”ヤバい”は本来は危険な意味も包含しているので個人的にはあまり乱用しないようにしたいところです。
正直、若者の日本語の使い方がヤバい状態。
僕自身、日本語が上手い訳では無いです。だから自分の思いを伝えるための文章を書く為の場としてこのブログ(ドーナッツ方位)のエントリーを書いています。時間があれば過去のエントリーを見直して「俺はこんなに文章を書くのが下手だったのか……」と誤字脱字の修正や加筆修正を行っています。
仕事の中で部下に叱る(指摘する)ときも「役に立たない」とか「なんでわからないの?」って言う言い方はダメだと思ってます。とは言え指導しないと同じミスを繰り返してしまうので「ぜんぜん良いよ」とか「問題ないよ」とミスを肯定するような表現も違う。
だからオブラートに包んで人に合わせて言い方を変えるようにしてます。その微妙なニュアンスを伝えるために、綺麗で読みやすい日本語を使えるように日々精進していきたいと思うのです。
蓮見さんは物語を作る側なので、基礎知識として色々な本や芸術に触れた結果を元に自分の作品を日本語としてアウトプット(=台本)しています。恐らくかなり繊細な感じで書いているのではないでしょうか?そういう作品の感想を「ダウ90000、ヤバっ」とか「観たけれどクソだった」だけですまされてしまっていたりする事があったとしたら冒頭の発言に繋がるのかもしれません。
そう考えると小学校とかでやった”読書感想文”って大事だったんだな……と思ってしまいます。
色々な言語は時代とともに使い方が変わっていきます。あと100年もすれば”感情を伝える”表現も大分簡素化されていくのかもしれませんし、きっとそれで問題ない時代になっているんだと思うので「けしからん!」と強く言うことも違うのかな……?と。
ただ、インターネットとかが無かった時代に沢山の本を読む事が出来た時代に生まれて僕は良かったと。
みんな、本をもっと読まないと感受性とか表現力が乏しい”ヤバい人”になっちゃうよ!
では。
]]>ダウ90000の蓮見さんのYoutubeチャンネルである『蓮見水族館Official』の動画を見ていたら蓮見さんの書いた作品が岸田國士戯曲賞にノミネートされたが惜しくも落選と言う場面が映っており「人生で一番悔しい!獲れたと思ってた!」と悔しがっておりました。でもそれを見ながら『全力を尽くしてもダメだったという経験って大事だなぁ〜』と思ったのも事実です。
動画を見終わったあと、
『人生で一番悔しかった時』
と言うのを思い出してみたのですがこれと言ったエピソードは出てきませんでした。
あんまりリスクをとらない人生を送ってきたからだと思います。
僕は高卒で奇跡的に大企業に入っているので昇進に対する”悔しさ”はあまりないです。日本はまだまだ学歴社会なので「だったら大学行けば?」と言われればそれまでですからね。ちなみに高卒の同期が昇進すると「俺たちの中から成功者が出た!」と喜ぶタイプです。氷河期入社でまだ会社に残っている高卒は結構タフなのですよ。
大好きな人を奪われた!と言う悔しさもないです。と言うか自分が大好きな人とお付き合いできた経験がほとんどないのです。
勿論恋愛は過去に色々としましたが「来るものは拒まず、去る者は追わず」の精神でした。「この人が居なければ僕は生きていけない!」みたいな思いは無いです。寂しいっちゃー寂しい。
ネットゲームの麻雀とかでは理不尽に思える程のタイミングで負ける事はよくありますが、これは最早運ゲーなので無課金で遊んでいる身としてはすでに「こんなことで悔しいと感じるのは勿体ない」と思っています。『所詮ゲーム』と思える所は加齢のなせる技術なのでしょう。
……ちなみに仕事以外では作曲をしたりブログ(このブログ)を書いたりしていますが賞レースに応募した事は無いので冒頭に書いた蓮見さんのように”落選”と言う悔しさを味わった事はないです。しかし“入選“の可能性もゼロ。どこまでもチキンだなぁ〜俺。と思う事しかり。
ラジオは大好きなのでたまにメールを送ったりしますが、これがたまに読まれたりしているので”採用率”(読まれた本数 / 送った本数)としては高い方だと思います。毎週のように読まれる『メール職人』には天と地との差がありますがそもそも僕はほとんどメールを送っていないですし、たまぁーに送ったメールがなまじ読まれたりするので「誰々さんのメールは読まれたのに俺のメールは読まれなかった!」みたいな悔しさはありません。
そんな僕でも、やっぱり”悔しい”と言う経験はあった方が良いと思っています。それがステップアップの原動力になるからです。心の底から悔しいと思う事って相当な自信とかチャレンジに伴うと思っていて、それってやっぱり”若さ”も大事な要素だと思うんです。
一部の例外を除けば50歳を過ぎてからチャレンジするリスクに対する成功率は驚くほど低くて、転職や起業など職を変える場合は大半は取り返しが付かなくなったりします。そのため、歳をとればとるほど「そんな事に熱くなっちゃってどーすんの?」なんて斜に構えてしまいがちですが本心では「俺ももっと若ければチャレンジしてみたかった!」なんて思っていたりするのです。
僕は体育会系では無かったので経験はありませんが、野球やサッカーに打ち込んでいた人は「試合のメンバーに選ばれるか?」とか選ばれたとして「相手チームに勝てるか?」といった数多くの経験の場があるのかもしれませんね。高校野球とかを観ているとやっぱり負けたチームは悔しそうに涙を流していたりします。でもそこまで打ち込んだんだから良い経験になっているのだと思いたいです。悔しさは”負け”では無くて“糧“なんだろうと。
人生で失敗や悔しさを経験しないで成功ばかりしている人は歳をとるにつれ未だ経験した事が無い『失敗』を恐れて手が鈍るのではなかろうか?なんて勝手に思ったりもしています。やっぱり大物になるためには若いうちに挫折や悔しさを味わっておくのが大事なのかも知れません。
そして、もしかしたら僕が誰かを「悔しがらさせた」可能性もあるかも知れません。こればっかりはそう言う当人から聞いた事が無いのでなんとも言えないのですが……。
アナタの人生で一番悔しかった思い出はなんですか?そしてその悔しさが今どのように活きているか?……ちょっと思い出してみるきっかけになってくれると幸いです。
]]>さらば青春の光と言うお笑い芸人がいる。
僕は昔はそんなに詳しくは知らず、何かの賞レースで「能やん!浄瑠璃やん!」みたいなツッコミをするネタの記憶が薄くある位だった。
そのうちに、大分経ってYoutubeの世界に芸人が乗り込んできてから“さらば青春の光“を見る機会が一気に増えた。深夜ラジオも昔からやっているのは知っていたが、下ネタが多く当時はあまり受け入れられなかったが今では楽しく聴く事が出来る。本当にラジオはその時の精神状態によって楽しめる・楽しめないが分かれるメディアだ。
松竹芸能を退所(”脱竹”と呼ばれている行為)、芸能界を干された状態から事務所を立ち上げ毎年”株主総会”と称して年商を発表する。株式公開しているわけではないので実際にはあくまでも株主ではなくてファンに対する報告。
この人達は資産運用などで儲けている訳ではなく、自分の身体を使った結果をギャラとして稼いでいる。Youtubeの広告料なども含むがそのコンテンツはあくまでも自分たちが主体である。
森田には常に向上心があり、世の中を皮肉りながら笑いに昇華してYoutubeなどで公開する。
少人数でのチームであり、事務所所属タレントが自分たちしかいないので機動力がとんでもなくある。悪ふざけと言えば悪ふざけなのだけど暴力的だったり断れない立場の女性にセクハラをするわけではない。ただ、悪ふざけは度を過ぎているものもあるので万人に通用するものではない。
彼らのネタは視点が違う。勿論、お笑い芸人のネタは独特の視点をベースにするので面白いのだが、”さらば青春の光”のネタは『俗っぽい』ものが多い。例えば、「CMに出演した俳優のスキャンダルをすっぱ抜き自粛させCM違約金を目当てにする、違約金ビジネス」だったり「終電間近の駅前でわざと喧嘩をして見物させる事で終電を逃せさせて、タクシーを斡旋(タクシー会社と提携)するという、終電逃せさせ屋」など実に”俗”なのだ。”閉店する店を居抜きで買取りそのまま風俗店にする”などテレビではとても放送できないネタも多数。
ちょっとしたネットニュースがあれば直ぐに乗るけれど、そのニュース(言動、行動)に対して決して賛同や批判はしない。自分達を使ってそれらを弄るだけ。
自分なりの方法(観点)でコンテンツを作る能力に長けていて、個人事務所で演者が自分達だけなのでスピード感が半端無い。一番最初にやった人が勝つコンテンツの世界ではこのスピード感が物を言う。
誰かを陥れるような企画はほとんどしない。ドッキリも基本的にはしない。するとしたら、自分たち(森田が東ブクロに仕掛ける)でやる。女性アイドルとかに対してドッキリを仕掛けるような事はしていない。
ギャンブルはするが違法ギャンブルはせずカジノは合法の国で撮影を行うので法的な問題は無い。
若手女性アイドルにドッキリを仕掛けるのであれば佐久間宣行のYouTubeの方が多い。
森田は物凄く多忙であるが、あくまでもギャラは折半(厳密に言うとマネージャーの山根さんを含めた3等分)とする”おぎやはぎ”スタイルも素敵である。森田のピン仕事が入れば入るほど、東ブクロは大好きなゴルフが出来る。ついでにスキャンダルもたまに起こす。……しかしそれらを含めても森田にとって東ブクロと言うキャラクターは必要なのだろう。
東ブクロもネタを受け取って演じるだけの芸人ではない。YouTubeを見ていると会話の端々にインテリジェンスを感じる時が多々ある。
とは言え所属タレントは自分自身しかいないのでこれ以上の売り上げ拡大はかなり厳しいと思う。かと言って所属タレントを増やすとスキャンダルなどの発覚リスクも増えるしシンプルに“質の低下“という可能性もある。かなり成果を出している『ひょうろく』を所属させるのも手だがひょうろく人気が落ち着いてくると厳しいものがある。
事業拡大はとても難しい。過去に色んな有名店が事業拡大(色んな分野に手を広げる)にチャレンジして失敗した例は星の数ほどある。
あと、悪ふざけできる年齢もそろそろ限界になってきているかも知れない。
しかし知将である森田の事だ年相応の悪ふざけを考えてゲラゲラと”俗”な笑いを提供してくれる事を期待している。
2025年の4月のWindows updateをしたら日本語フォントの表示が変わった!と言う記事をみました。僕は家ではMacなのであまり気にしてませんでしたが会社貸与のWindowsパソコンをアップデートしたら……見事にフォントが変になりました。
ちょっと調べてみたら「Segoe UI」フォントファミリーのバージョンアップとか「Noto」フォントの追加が今回のフォントが変わった部分に影響を与えているらしいです。
フォントを戻すのも手ですがMicrosoftとしては将来を見据えてフォントを変更した可能性がありますのでそこは準じたい。WindowsもMacもバージョンアップによって「うわぁなんか使いにくくなった」と言う場合が多いです。が、彼らも嫌がらせでやっている訳ではないのである程度は慣れて行く事も大事だと思います。ただ、想像以上に使い勝手が悪いと世界中のユーザーからクレームが届くので昔の機能に戻る事もたまにあったりします。
僕の会社の資料作成もデザインテンプレートが今年度からがらっと変わりそれに伴って推奨フォントも変更になっています。フォントにもトレンドってのがあるのかも知れません。
でもやっぱりこのフォントは見にくい。仕事にならん!
そんな時には『ClearType』を試してもらいたいです。
この技術はディスプレイの解像度に合わせてフォントのギザギザになっている部分を中間色を補って綺麗に見せると言う技術でMacでは結構昔から(OS Xから?)使われています。これが初期化されている可能性があるとの事。
〈やりかた〉
検索窓に『Cleartype』と打って出てくるアプリを起動。
あとは『次へ』を押していき自分が読みやすいフォントの画像を選んでいきます(多分5回ほど繰り返します)。
だけです(画面はプライベートのSurface Goのもの)。
これだけでもボロボロフォントだったのが綺麗に見える可能性があります。ただ、これはフォントのギザギザを見やすくするだけで、そもそものフォントが気に入らない!という場合では有効ではありません。また、この技術を使うと逆にボケボケに見えると思う人もいるかも知れないのでそこはお好みで。
それでも嫌なら……フォントを戻しましょう。
設定でフォントが「Noto Sans JP」になっていたら「Meiryo」と「Yu Mincho」に変更すれば戻ると思います。
最初の方にも書きましたけれど、「よし戻った。安心・安心」と言うのは変化に乗れない人になってしまう危険を孕んでいそうな気もしています。会社の”老害”と呼ばれる人の中にも「俺が若い頃はこういう仕事の仕方はしなかった!」と頑なに昔のやり方で仕事をしている人がいませんか?それを見ながら「時代は変わったんだよ。いつまでも昔にしがみついているんだよ」と思っていませんか?
フォントは確かに一番目に見える部分なので変わるとけっこう辛いものがあります。でもきっといつまでもメイリオって訳にもきっといかないんだと思っています。
僕は日本語フォントが所謂『中華フォント』にならない限り、なるべく標準にしたがっていこうと思っています。
]]>システム構築をけっこうな数やっております。新人で右も左もわからない頃から先輩の仕事を見て見様見まねで色々な現場を経験してきました。30年もずっとよくやってきたなぁと我ながら思っています。
そんな僕がエンジニアとして技術力の向上は普通に右肩上がりだったと思います。パッケージを扱っていたので業務の知識も同じように向上していきました。(マネージャーとしての能力はまったく向上しませんでした)
ただ、組織として動くサラリーマンとしては、お客様からの予想外の要求に対しては「持ち帰って相談して回答します」と言う回答しか出来なかったんです。
これ自体は誤りではありません。プロジェクトのスコープを変更するような要求を勝手に許諾すると構築工数が増えるので当初の予算を超える可能性が出てくるからです。勿論、スコープ変更は必要に応じて発生するのですが大前提は『再見積もり』と言う工程を挟みます。簡単に言うと「作業増えるからもっとお金ちょうだい」と言うのを両者で合意さえとれれば作業してもOKというもの。
これを再見積もりをしないでスコープを変更すると、まぁ赤字になりますし炎上します。上司やプロジェクトメンバーからは「何勝手に決めるんだ!」と怒られます。いい事なしです。
なので基本的にエンジニアはお客様からの追加要求に対しては”持ち帰り”という工程をとります。
ただしこれは通常のプロジェクトの場合。
トラブルプロジェクトに関しては、途中から参画すると「どこまでがOKでどこまでが再見積もりの対象なのだ?」という場面が多々あります。
作業をお願いしているパートナーさんも「わかりません」の一点張り。お客様もそればかりの回答だとただでさえ炎上しているのにさらに関係が悪くなります。
ある程度プロジェクトの全体像が見えた時、プロパーとして「もう、ええわ。俺が決める」という場面が出てきます。勿論スコープを大きく離れるか?どちらに非があるか?をちゃんと鑑みた上です。その決意・決断には覚悟が伴います。言うだけならただの迷惑なエンジニアです。有言実行。言ったからには自分が先頭になり”やり切る”。
ー みんなうだうだして曖昧な回答で済ませている。そのため進捗はどんどんと遅れていくので本番までの作業がどんどん増える。そんなに難しい作業では無いと思うのでやってしまった方が結果良いと判断するが誰も手を挙げない。
そんな時に「わかりました!その方向で進めます。でもお客様の協力も必要なのでよろしくお願いいたします」という発言をします。
この決意と覚悟を”自分ごと”で判断したとき、ITエンジニアとして飛躍的に成長すると思っています。ブレイクスルーという奴です。
この発言後は顧客との折衝やプロジェクトメンバーへの指示出し、技術的問題の解決もしくは解決のための方法を説明して依頼などとんでもないタスクが増えます。会議のファシリテートなど全部自分が主体。でも、もうダラダラやっていくとロスコストも増えるし予定納期も遅れる。そちらの道を選んでも大変な事しかありません。でも”自分ごと”なので自分のやり方で進める事が出来るのでとても良い経験になるんですよ。
このブレイクスルーを経験し実力が伴っていると主導権がこちらに移ります。
よくエンジニアやプログラマはコミュニケーション能力は特になくても良いと言う意見を聞きます。それは対象プログラム本数が少ない場合のプログラマーなら通用するかもしれませんが、顧客向けシステム構築となるとコミュニケーション能力が物を言う世界になると思っています。お客様と直接会話する立場の場合は特に、です。
リモート越しにお客様の声色を判断して一旦謝りながら進めるべきか、強気に出るべきか?ここは営業さんに任せる事が出来ないです。営業さんは細かい技術問題の解決方法がわからないので……これは営業さんを責めている訳ではありません。営業さんには営業さんの苦しみがあるので。
このブレイクスルーを経験すると社内でも「あの人に任せると何とかしてくれる」という箔がつきます。僕もここ数年は火消しばかりしているのですが、火消しで入ったプロジェクトの人と飲みに行ったりすると「波秋さんが入ってから一気に色んな事が回り始めるようになりました!」という嬉しい評価を貰う事が多くなりました。
別に昇給に繋がる訳じゃないのは悲しいですがエンジニア冥利につきるというものです。
ただ、このスキルが増えるとスーパー火消し要員として毎回炎上プロジェクトを渡り歩く事になるので、早めに仕事の進め方、火の消し方を後輩や周りの人に教えるようにしましょうね。
]]>夜型の人が眠りにつくのと朝型の人が目覚める頃、それが朝の4時から5時くらいの感じがします。
普通の(?)生活を送っている人は大抵0時前後に寝て6時頃に起きるとすると大抵の人はすやすやと眠っている時間帯です。
この時間に外に出ると歓楽街だと酔客で賑わっていたりします。お酒を飲んで大声になっている人や飲みすぎて体調悪い人とかもいてシラフだとあまり近づきたくない場所です。
この時間はその人たちの「今日の終わり」。早起きした人はその人(深夜まで飲んでいた人)たちにとって「明日の始まり」になっていたりするので少し不思議な感じですね。同じ国なのに時差があるみたいな。
オンラインゲームとかをやっていると朝方の人がゲームにログインすると「そろそろ寝ますー」と言う人と「今入りましたー」と言う人が交差する時間帯なのかも知れません。仕事でもないのに交代勤務でゲームを進めると言うのもお国柄なのでしょうかね?
あと深夜ラジオのヘビーリスナーは曜日にもよりますが大抵4時30分位まで聴いて(メールを送って)その後眠りにつくのではないでしょうか?複数のラジオ番組に投稿しているメール職人はいつ寝ているのか?なんて事をふと思ったりもします。
ー 冬はこの時間は真っ暗なので何もわかりませんが夏だとこの時間帯は空が少しづつ明るくなってきて朝の訪れを知らせます。まだ若い頃明け方まで飲んでいてお店を出たら「うわーもう空が明るいよー」みたいな経験が何回もありました。
僕はこの時間帯が結構好きだったりします。昔からと言うよりも年齢を重ねて早起きになってからどんどん好きになった感じですね。僕だって若い頃は深夜まで飲んで翌日は会社に行くギリギリまで寝てましたから。今、朝早く起きているのは生活習慣を変えたと言うよりもシンプルに”老化”です。いやでも早起きになってしまうんですよね。
『夜と朝が交わる時間帯』
不思議な表現ですが僕は朝の4時頃がそれにあたると思っています。
勿論、僕達が今様々なインフラ・ライフラインを安定して使えているのは深夜に働いてくれている人達の働きがありますし、クリエイターの人は夜型の人も多いと思うのでそれらの人々との交代引き継ぎ時間……それが朝の4時。
都会だとそろそろ始発が出るから起きて出勤の準備するか?と言う人と始発が出るから夜遊びを終えて帰るか?と言う人達がざまざまな駅へ向かうも上下線が逆で微妙に交わらない時間帯……それも朝の4時頃。
昔は深夜はラジオ位しか放送しているメディアがなくて基本的に”無音”でした。新聞配達のカブの音が聞こえて来て「あぁ、もう朝かぁ……早いなぁ」なんて言うのが僕の学生時代の『朝の始まり』だったような気がします。
みんなが寝静まっている中、自分だけが活動している。
仕事ができる人はこの時間帯で今日1日の予定を立てたり既にタスクを消化したりしているのかも知れません。
僕はなんか子供の頃に味わった夜更かしの“背徳感“をこの歳になっても(夜更かしじゃ無いのに)まだ感じられるこの時間がやっぱり好きだったりします。
この時間に起きると朝の出社まで結構時間があるので朝風呂もゆっくり入れますし。
人間、たまに深夜にふと起きてしまいそのまま眠気が来なかったりする事があります。1日位であればそんなに問題は無いと思うのでそういう時は思い切って起きてしまうのも良いかもしれません。なんか不思議な世界を味わう事が出来ますよ。