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ガムを踏む

散歩していたり通勤している時、たまーにガムを踏むことがある。
なんか、「あ!」という違和感を感じた後に踵を上げる時の「ねちゃー」っと言ったあの感覚。実に不快であるし、なかなか取れないのも辛い。帰宅時ならまだしもこれから外出というさなかでこのイベントに遭遇するとその1日はすでに平均点以下でスタートとなる。

さて、僕はツイてない時にはどれだけ足掻こうが裏目、裏目に出るからそう言う時は無理しないで時間が経つ(悪い流れが去る)のを待とうと言う精神であるが、そういう時はちゃんとガムも踏むのか。昭和かよ。

4月から月に1回位くらってたのだけど「今、ガムってどの程度売れているのだろう?」とふと思った。
売れている絶対数が少なければ路上に捨てられる数も減るし結果、踏む数も減るはずなのだ。逆にレア経験になるはず。

さて、ここ10年から20年の口内ケアも満たすお菓子の定番を考えてみるとグミやミント系などのタブレット(フリスクやミンティア)の台頭に比べ飴やガムの地位は著しく下がっている気がする。
喉が痛い時などにはまだ飴(のど飴やトローチ)の出番があるとしてガムは本当に出番が少なくなっているのではないか?

おっさんの僕としてはそういうお菓子の原点に駄菓子屋がある。10円、20円でお菓子が買えるユートピア。当時はグミやタブレット菓子はなかったと記憶する(あるとすれば梅ミントみたいなものか)
駄菓子屋と言う予算300円で王様のようにお菓子が買える店、その中でも僕が小中まで流行っていたのはフィリックス君ガムやマルカワのフルーツガムのようなチューイングガム。(膨らませると風船のように膨らむガム)がガム界を制してた気がする。
そして、LOTTEの板ガム。これは社会人でも食べる『ザ・ガム』であり気品があったほどだ。
これらには学生の頃には非常にお世話になった。あと、ある年代の成人は焼肉屋に行ったあと会計時でガムを貰った経験も多かったのでは無いか?脂まみれになった口内をガムでスッキリさせる。今でもこの文化は残っているのだろうか?

でも時代は変わる。
今は小粒状のガムが容器に纏まって入っている提供体型が多い。ブラックブラック的な奴。
長距離ドライブする時のドリンクホルダーに設置していた人も多いのではなかろうか?
僕も当時は眠気覚ましに大分お世話になったけれど、今は刺激が強いタブレットでも代用される。ついでにブレスケアにもなる。

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そう言う意味で行くと『ガムを踏む』という経験は確率が低いレア体験になっているのだ。
そう思わないと、辛いではないか。そもそも食べ終わったガムを路上に捨てるという人は今どのくらいいるのだろう?

ちなみにここ数ヶ月は同じくらいの確率で50円玉を拾う。決まって50円。ガムを2回踏むと1回50円を拾う感覚。
1ガム=25円?

 

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何故かひろう

まあ、そんなこと考えられるだけまだ切羽詰まっていないのだろう。
10月中旬から急に寒くなった。寒暖差アレルギーで体調を崩す人もいるだろうし、僕はここ数年“冬季生うつ“に怯えてる。

ガム踏んで50円拾えるなら、それはもう「ついてない」を突き抜けた何か、なんだろうな。

ちなみに本日のお昼をコンビニで買った時、お釣りは全部もらえたがレシートの紙が切れた。レシートの両端が赤くなって“そろそろ交換時期ですよ“を無視した結果。こういう経験も慣れれば日常茶飯事。

“ガムを踏む“くらいの日常の小さなイライラは誰にでもあると思う。が、怒りの対象はいない。いちいち「うあー!」って文句を言う人もいるし、心の中で溜め込む人も居る。

それらの不満が突然いろんな人から爆発しない事を祈ってる。今はギリギリのテンションなんだろう。僕はなぜか50円を拾えたりするけれど他の人にも「タイプの人から声をかけられる」とか「遅刻上等で駅のホームにいったら予定の電車が遅延でまだ出発していなかった」なんて“ちょっとした幸せ“があって相殺されているかもしれない。

このギスギスした世の中の均衡を守ってるのは『それぞれの人に降った不幸と、それに見合ったちょっとした幸せ』だったりするのだな。

今後もガムを噛むようなら50円では無く100円に賃上げ依頼してみようと思うのだが誰と交渉すれば良いのか??……そんな事を考えている間は案外気持ちが落ち着いているのかもしれないな。

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