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私は歩くの早いから、あなたの速度で大丈夫[リライト版]

日比谷で仕事をしていたときの話である。僕の職業はシステムエンジニアと名乗っていたが、実質プログラマーであった。

そんな僕が初めて設計のみの仕事に移ったのが、この日比谷での仕事だ。”設計のみ”と言うのは、自分で設計書を書いて、ほかの人に実際にプログラムを作ってもらう謂わば「システムエンジニアになるための過程」の一歩だ。

昔から、自分で設計して自分でプログラムを作っていたので、設計に不安はなかったが、「果たして、自分が作った設計をきちんと理解してプログラムを組んでくれるのか?」と言う点が僕の胃を痛めた。事実、毎朝会社に行くとまずは胃薬を飲むのがルーティーンだったほどだ。

そのプロジェクトはいわゆる”赤字プロジェクト”だった。プロジェクト運営に失敗し、赤字を垂れ流している状態。僕は途中から入った。プロジェクトメンバーは100人はいたと思う。100人x100万円=1億円。単純計算であるが、「あぁ、このプロジェクトは毎月1億円の赤字を出しているのか」そう思った記憶がある。

実際、100人のうち、実際に活躍しているのは20人程度だったと記憶する、残りの人は足を引っ張るか、インターネットを見て時間を潰していた。当時夕方の3時位にきて、「いやー、洗濯してからきたよ」とか、朝の11時頃に出社して、理由を聞くと「まずはパチンコ屋に開店から入る。1時間。負けたら出社するし、勝ってたら年休にする」との事。

そう言う人たちを抱えながらプロジェクトは進んでいった。

About outward

僕の設計を基にプログラムを作ってくれる人は5人いた。1人がベテランで一番難しい奴を担当してもらった。残りの4人はほぼ新人同様だった。

設計書を書き終わった僕はその5人のフォローに明け暮れた。兎に角順番に回り、ちゃんと僕の思い通りプログラムを作っているか?分からないところはないか?プログラマは男女混合であったが、差別とかは無しに公平に聞いて回っていた。

また、活躍していない80人は定時でさっと帰っていたが、残りの20人は毎日終電で帰っていた。
毎日激務だった訳ではない。終電まで働くか、終電まで飲むか、そのどちらかであった。

僕は比較的先輩達に好かれていたので、先輩達が定時後、パチンコ屋にいき、その後終電まで行きつけの居酒屋で飲むのが恒例だったので、21時頃に仕事を終えたりすると、そこに行けば先輩達と会えたし、終電まで飲んだ。

僕は管理職では無かったが新人同様のプログラマへのガス抜きも忘れなかった。週末の金曜日とかは、その新人達を連れて飲みにいった。当時、僕は24歳。何様だ?と言われてもしょうがない。

彼、彼女らとの飲み会も楽しかった。愚痴とかはほとんどなかったのではないだろうか?どんな話をしていたのかは今となっては思い出せないが、兎に角楽しかった。

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ある金曜日、いつものように、彼、彼女らを連れて終電まで飲んでいたのだが、「もうちょっと飲みたい」と誰かが言った。僕はまだ30分位余裕があるが、誰かが帰れなくなるハズだ。
日比谷の仕事には新橋駅を利用していた。僕は東海道線で藤沢、そこから小田急での移動だった。僕と同じ方面の人は二人。一人は女の子だった。

とりあえず藤沢まで移動。そこから一人は近いのでタクシーで帰ると言った。残るは女の子。同じ小田急だ。「いける所まで行く」と言う。
結果、僕の降りる駅で「泊めて欲しい」と言ってきた。それには僕も驚いた。
若い女性が、男性の家(当時は寮)に泊りにくるのだ。
普通なら、「何もしないでね!」とか「何もしないから」と言うのが定型句なのだろうが、そう言う発言はなかったし、そもそも僕にその気は無かった。

僕の寮の部屋は汚かったので正直嫌だったが、彼女を受け入れた。住んでいる寮が共同トイレではなく、各部屋にユニットバスが付いているのも良かった。
彼女は僕の部屋に入るなり、「お兄ちゃんの部屋より綺麗」と言った。
「僕は床に眠るから君はベッドで寝なよ」と言ったが、「泊めてもらうんだから、私は床で寝る」と言った。

何も無かった。少なくとも僕の記憶では何も無かった。

翌日、僕は休日出勤だった、女の子も帰ると言う。
カップルでもない男女が寮から駅までの道のりを二人で歩く、それは不思議な光景だったかもしれない。

僕は、少し急ぎ足で歩いた後、「あ、女性は歩くのが遅いんだ」と言うことを思い出して、後ろを振り返った。
彼女は言った「私は歩くの早いから、あなたの速度で大丈夫」って。

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そのプロジェクトはなんとか終了した。
その後、彼女から「付き合って欲しい」と言う電話があったが僕は断った。なぜ断ったのかは覚えていない。「もっと素晴らしい女性と出会えるはず!」と言う驕りがあったのかもしれない。

今の若者なら、「とりあえず付き合うか!」と言う選択肢があるのだろうが、当時の僕は、若くて、そして臆病だった。

それから1年後、そのプロジェクトの同窓会があった。おそらく活躍した20人を中心に集めた飲み会だったと思う。そこに彼女もいた。変わってないな、と思ったが彼女は僕に目もくれなかった。きっと彼氏を見つけて幸せに生きているのだろう。

でも、歩くのが早い女性に出会ったのはそれが最初で最後かもしれないな、と今ふと思い返す事がある。
24歳、僕は多感では無かったのだろうか?会社人間として働いていたときの思い出である。

日本にまだスターバックスコーヒーが52店舗しかなくて、ビルの地下に入っており、「なんか、シナモン入れ放題のコーヒー屋ができたぞ!」とプロジェクト内で話題になってた事を補足して、エッセイを閉じることにする。

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