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193 -3-

Bundesstraße 193 number svg

193 -2-

「193、点呼!」
「はい!」
「よし、今日も生きてるな。」

このようなやり取りが毎日続いている。正直こんな生活をしていて、死ぬ人がいるのだろうか?わからない。正直、僕にはそういう気持ちは沸かない。だからと言って満足している訳ではないが。

全員の点呼が終わってから今日の任務が発表される。最初のうちは毎日何かしらのギャンブルをしていたから、そういう物だと思っていたけれど昨日はいきなりビルの清掃とか来たからな、まぁ、それは問題ないんだけれど、そうすると、今日は何をするんだ!?
「今日の任務は、神田でパチンコだ、いつものように一人10万円支給する。なお…」
「あぁ、またパチスロか。正直辛いな。」そんな言葉が自然とでた。

あれだけ人生の大半をつぎ込んだパチスロを辛いと感じる自分がいるのに驚く。だが、これは任務で監視されているのだ。

監視を破って逃げた場合、明日の点呼で「生きている」と呼ばれないかも知れないのか…。

「生きているな」ってのはこういう事なのかな?とふと思った。このループに耐えれなくなった人間が逃げる。それが死、なのかもしれない。

今日もパチスロをする。もうそういう時はギャンブル性の高い台を打つように決めている。自分の金では無いのだ。

コツコツと勝ったってどうしようも無いし、ものすごく、非生産的だ。
同じく、ギャンブル性の高い台が恐ろしく勝率の悪いものである事にも気づいてきた。

まぁ、確率を考えれば当たり前の話なんだけれど、今までは、店をぐるっと見回すと1人か2人かは、出ている人がいたから、「出る」と思い込んでいたが、その確率だって全員の客から割りだすとものすごく少ないことに気付く。

「店だって、客を煽る為には少しは出ている台を出すんだろうな。」計算的には店の黒字である事ははっきりしている。

今日もギャンブル性が高い台の確率の低さを証明する作業が始まる。そして、一日が終わっていくのだ。

「たしか、ギャンブルが禁止な国もあるんだよな。だったら、この国もギャンブル禁止にすればいいのにな。やりたくても出来なくしちまえばいいんだ。」そんな発言をするようになる。

まぁ、昔は負まくって、言い訳のように言っていた言葉だけれど、今は本心から言っているような感覚だ。

「あぁ、まだ16時か。閉店まではしばらくあるな…」そんな時に、低い確率を引いた。そして、見事にメダルが出だした。この当たりは実際閉店まで止まることは無かった。
閉店後、換金をする。今までは慣れで打っていたので10万円を切ることは無くなっていたけれどそれでも、12〜13万円。今日、僕が手にしたのは実に22万円、元金と合わせると、27万円だ。

久々に大勝ちした。でも気分は晴れない。このお金はすべて没収されるからだ。今となっては出ている間の電子音やフラッシュが逆に疲れて早く終わってほしいと思ったほどである。
店の中での少ない「凄く出している人」になったのに、嬉しさはほとんど無かった。疲れの方が強い。今でも目がチカチカする。
早く布団に入って眠りたい。そうやって、今日は終わった。

「明日も、またギャンブルかな?なら、麻雀がいいな。あれは自分で頭を使える。」そんな事を考えていた。どうせ、ギャンブルするなら、自分で考えさせて欲しかった。そして、お金とは別の戦いをしたくなっていた。

翌日も、残念な事にパチスロであった。実に苦痛に感じる。

これだったら、無償でいいからなんか仕事させて欲しい。この前のビルの掃除なら喜んでやるよ。まぁ、この「パチスロを打つ事」も仕事なのかもしれないが、僕にはわからない。

日々、そんな毎日が続く。勝った日に換金行為は行うがすべての金額は没収される。実にここ数週間、僕は財布(と言うか自分の財産)を持っていない。でも生きている。実に不思議な感覚だ。

人に言わせると、「何不自由なく生活していて食いたい物食えてパチスロ出来るなんて最高じゃない!」なんて思うかも知れない、けれど、そういう人がいたら変わってもらいたいものだ。

夜、パチスロを終え布団に入り天井を見上げる。目を閉じるが昼間の電子フラッシュがチカチカして非常に疲れているのがよくわかる。肉体も精神も。特に目が辛い。天井は照明がかかっているだけだし、現に、今は消灯されているので部屋は暗いのだが、時折、フラッシュがチカチカする。「まいったな。」しばらくして、耳を傾けると、窓の外から雨音らしきものが聞こえる。何か、叩きつけるような、それは自分の思いに対してか、何かが自分に突き刺さる。決して耳障りでは無い。逆にチカチカした僕の精神をとろかすような音。少し濡らして、軽く溶かすような、そんな感覚。そして僕は眠りに付く。

「193、点呼!」
「はい。」そんな毎日。続いて「194、点呼!」の声までは聞こえる。すると声の主は消えていく。この場所はそんなに広くないのか?いや、毎日部屋を出ると何十人の人が居る。まぁ、正式に僕が193番目かどうかなんて数えたことは無いんだけれど。
「今日は一部メンバーに特別任務を申し渡す!」お、今日は上手く行けばパチスロを逃れられるぞ!自分がワクワクしているのに気付く。「いつもと違う事」をするのは少し勇気がいるがそれ以上の楽しみが待っている。大抵の事なら出来るだろう。

「…、193、194、…!」自分が呼ばれた事がわかる、やった!「よーし、以上のメンバーは本日老人ホームへ行ってもらう。」老人ホームか。何をするんだろうな?いつものように目隠しをして、バスに乗り込む。いつもより長い時間、バスに揺られていたように思う。今日は結構遠いな。

「よし、目隠しを取って良いぞ!」目隠しをとると、いつにもまして眩しい光が目に入ってきて思わず目を覆ってしまう。

昨日の雨は明け方には上がったようだ。雲ひとつ無い青空が目の前に広がっている。それといつもと違う点がひとつある。それは”緑”だ。毎日のように都心に運ばれていたんだ。目隠しを取るとビル、ビル、ビルの灰色の風景や過剰な広告が目に入ってきて辟易していた。

それに対して今日はやけに風景が良い。ビルなどは無い。青い空と緑。そこにぽつんとある平屋建ての老人ホーム。なんだろう、凄い久々の風景だ。ギャンブルばっかりやっていてろくに旅行とかもしてないので、こういう風景を見るのは、何十年ぶりかもしれない。

しばし風景に感動していると、目の前に車椅子に乗った老人が運ばれてきた。「この人ね、ハルさんって言うの。今日一日、面倒お願いね。」施設の人からハルさんをバトンタッチされる。

「はじめまして、ハルさん。」とりあえず挨拶する。

「あれー、随分と若い人だねぇ。よろしくね。」ハルさんはにっこりと笑いながら返事を返してきた。
「どうします?」

「そうだねぇ。今日は天気がいいから、この庭を散歩したいねぇ。悪いけれど車椅子押してくれないかねぇ。」

「はい、喜んで!」

しばらく、車椅子を押しながらこの老人ホームの庭を散歩する。芝生は綺麗に刈り取られており非常に綺麗だ。

「今日みたいな日はねぇ〜、あと、何日あるんだろうねぇ。私みたいになったら毎日が楽しみでさぁ。いつお迎えが来るかわからないからねぇ〜。」

「そんな不吉な事言わないでくださいよ。まだまだ生きれますよ。」

「そうだといいけれどねぇ〜、最近は足腰もめっきり動かなくなってねぇ〜、不憫だねぇ。私があんた位の頃はさぁ、毎日楽しかったねぇ。旦那さんが帰ってくるまでに子供を育てて、料理してさぁ、そうだ、ウメさんの話は聞いたことあるかい?」

今日きて今日はじめて会ったのだ、ウメさんの話なんて聞いたこと無いし第一ウメさんが誰かも知らない。この人は、少し痴呆が入ってるのだろうか。

「あんたは若いから、色んな事が出来ていいねぇ。私もまた、旅行とかしたいねぇ〜。そうそう、昔、伊豆に行ったときにね、旦那さんと・・・。」

しばらく、ウメさんの話やら、若かった頃の武勇伝を聞かされる。実生活でなんの取り柄も経験もない僕はただただ頷くしかなかった。昔話をしている時のハルさんはとてもいきいきとしていた。毎日誰かと話したいのだろう。孤独は嫌なんだろうな。よく、電気屋とかでレジで必要以上に店員と会話する老婆を見たことがあったけれど、きっと同じ感覚なんだろうな。
でも、人としっかり会話したのは本当に久しぶりだった。人と触れ合うっていいな。と思わされる。今までは会社ではコミュニケーションはあったけれど、休日になると誰とも話さないような生活をしていた。

人とはスロット屋とかでは会うけれど、それは”見る”という表現が正しくて、誰かも知らないし、まして会話なんてしたこと無い。食事も休日は一人で食べていた。カップラーメンやコンビニ弁当、たまに定食屋やファストフードだ。寂しいとは思ってないつもりだったけれど、随分と寂しかったんだな。

人と触れ合う、会話する。ものすごく当たり前の事なんだけれど、当たり前の事を今さらながら再確認させられてしまう。今日の”特別任務”は大当たりだ。

そんな事を思いながら、散歩をしていた。時折吹く風が心地良い。しばらくして、お昼の時間になる。ハルさんはもう手も上手く動かせないので、代わりに食べさせてあげる事に。

これも任務だ。なんか、食べさせているうちに、子供の頃に入院したおじいちゃんに同じ事をしたなぁ〜と、その昔の感覚が蘇ってくる。それと同時に、いつかは僕も自分の手で食べれない時が訪れるのだろうか、と少し不安にもなる。

ハルさんの口の周りに着いたご飯をガーゼで綺麗にしてあげて、お昼は終了。午後はどうするのかと思っていたら、今日の任務はここで終了らしい。ハルさんにお別れを告げる。

「またくるね、ハルさん。」

「私が生きているうちに、またおいで。」

正直、この”特別任務”はもっと続けていたかった。帰りのバスの中で、今の自分の”生きている”とハルさんの”生きている”の重みがあまりにも違う事を思い知らされた。

ハルさんはしきりに、「生きてれば」とか「お迎えが来なければ」と言っていた。僕が言う衣食住全て完備されていてパチスロをして、”生かされている”のとは全然違うのだ。

夜、布団に入ると、ハルさんの笑顔が浮かんだ。それと同時に両親や祖父母の顔が浮かぶ。「両親、俺を心配しているかなぁ。」

実社会での今の自分の扱いはどうなっているのだろうか?再度考えさせられた。死亡扱いされているのか?それとも、入院でもしている事になっているのだろうか?それを調べようと思うけれど同時に恐怖が襲ってきて、つい先延ばしにしてしまう。

今は、ハルさんの笑顔に癒されよう。残念ながら独り身の僕にはここで”彼女”の顔が浮かんでくる事は無いのだった。

夜、TVを見て、大分、曜日感覚が戻ってきた。どうも、最近のローテーションは月曜から金曜日(もしくは土曜日まで)がパチスロや競馬、で、日曜日に特別任務が入る可能性が高いという事だ。子供の頃は日曜日が待ちどうしかったし、学生や社会人の頃も同じく、日曜日(社会人の頃は土曜日も)が待ちどおしかった。

そして、今の僕も、この施設(組織?)の中で日曜日が訪れるのを待っている。人間の本能には「日曜日は楽しいものだ。」と言う感情でもインプットされているのだろうか?

ある時の特別任務は、確かに特別任務ではあったけれど、個人的には少々きつかった。それは「野球をする。」って事だった。子供の頃から運動神経は悪くないと思うけれど、球技が苦手であんまり野球ってやった覚えがないんだ。だから、その時は少々心配ではあった。

しかし、実際に野球をしてみると、空振りしたって楽しいものである。たまにヒットなんかが出て一塁に走る感覚。足がもつれそうになりながらもベースへと向かう。まぁ、大抵はフライだったりしてホームベースを踏むことは無かったんだけれど、青空の下の土のグラウンド。埃っぽい土の感覚を随分と忘れていたようだ。

記憶は一気に小学校時代、”泥団子”を作っていた頃まで戻ってしまう。この前の老人ホームもそうだったけれど、随分と”自然”を忘れていたような感じ。そして、それを今、体いっぱいに取り戻している。

野球をした日の夜は熟睡できた。体が疲れてすぐにでも寝れるような感じだったのだ。あのパチスロのフラッシュも目に入ってこない。体が重くなり、瞼を閉じればすぐに眠れてしまう感覚を味わうのも久しぶりだった。やはり、人間ってのは体を動かさないと駄目なんだな、と痛感させられてしまう。

ここでの生活も随分と慣れた。TVは見れるのでニュースは入ってくる。それと同時に”死んだはず”の自分が今、世間でどういう扱いになっているかの不安が襲ってくる。パチスロをしている時に抜けだして、自分の家に行こうとした事もあった。でも、組織に監視されているのだ。

それに今、会社や家に行ってどうすればよいのか?わからない。友人や親に連絡を取ろうと思ったこともあったが、電話番号が思い出せない。携帯電話が普及して、電話帳機能を搭載してから、人間は”電話番号を覚える”という能力が退化、もしくは脳が不要と判断しているのではないか?と思う。

一回登録してしまえばそれ以降は選んで”通話”ボタンを押せば繋がってしまうのだ。いちいち番号を覚える必要が無い。そして、僕の手元にはいつも使っていた携帯電話は無い。「本部」というアドレスが1件だけ登録された携帯電話を支給されているだけだ。

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