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プログラマになろうと思ったきっかけ

僕は高卒で今の会社にシステムエンジニアとして入社しました。でも、システムエンジニアってのは定義が当時から曖昧でして、まぁ新人のうちはプログラムを書いて慣れろって感じでした。
で、それが僕には心地よかったんですよね。

そりゃーそうです。僕はプログラマかバンドマンになりたかったんですから。

んではなんで僕がプログラマになりたかったか?って言うとこれは正確に覚えてるんですよね。
今みたいに”プログラムで一攫千金!”みたいではなかったんですけれどね。

小学校の頃、ファミコンであそんでいたんですけれど、ある時にファミリーベーシックって言うプログラムを書いてマリオとかを動かせる言語が任天堂から出たんですよね。

何気なく当時の僕が思ったのは、「適当に書いても何らかのゲームとして動くのではないか!?」って事です。これが僕の原体験。

でも、がむしゃらに何も考えずにペコペコとキーボードを叩いてもプログラムは動かないのです。当たり前と言えば当たり前。

しかし、それにへこたれず波秋少年は本に書いてある通りにプログラムを打って見事マリオを動かすことに成功したのです。

その後、MSXと言う家庭のテレビに接続して使うパソコンがありましてね、それでガンガンとプログラムを書きました。小学校の頃は本当に本に載っている通りに打ちました。英語もまったくわからない時代でしたが、なんとなく法則性が見えてきました。

当時、インターネットもなにもない時代でして、その代わりにゲームが動くプログラムのソースコードが載っている雑誌が結構あったんですよね。「マイコンBASICマガジン(通称:ベーマガ)」を毎月買っていました。(電波新聞社と言う今考えればややデンパな名前の出版でししたが)

中学生になるともうちょっと高級なパソコンを親に買ってもらい、またプログラムを打つ毎日。本当にばかみたいに毎日プログラムを書いてました。勿論、ゲームをやると言う目的もあったのですけれど、当時の波秋少年はゲームをするよりゲームを作る方が楽しかったんですよね。
Hi-JAXと言うチームを作ったのもこの頃です(当時表記はHI-JAXS)。

中学校の頃にみんなでHi-JAXのチームでゲームをやったり作ったりしてましたね。実際にゲームを書いて雑誌に投稿したのもこの頃です。入選はしませんでしたが自信はありました。
若者にありがちな根拠のない自信って奴です。

高校に入ってからは友達にも恵まれ、これまたHi-JAX(当時表記はHI-JAX)のチームを作りゲームを作っていました。
ただ、ゲームを作る前にドット絵のキャラクタエディタが無いことがわかり、「無いものは作る」と言う当時の精神のもとにゲーム作成そっちのけでエディター作ってました。

Computer programming man

今の仕事で便利ツールを作る癖があるのはこの頃の感覚が残っているんだと思います。

ちなみに高校時代はプログラム仲間とその友達でバンドごっこもやってましてね、これもまた楽しい。音楽もプログラムも楽しい!…となれば打ち込み!と思うかもしれませんが、当時の音楽ソフトには打ち込みがバンバンできるようなソフトはありませんでした。

さて、工業高校に通学していた僕は大学に進学と言う思いは全くありませんでした。就職するぞ!って感じです。

その時、学校の先生がいった言葉が僕の人生を決めましてね。その言葉ってのが、「趣味を仕事にしたら、仕事が嫌になったときにその趣味も嫌になるぞ」って言葉です。
なるほど、と。

って事でプログラムとバンドって言うハイブリッドな趣味を持っていた僕はすぐに金になりそうなプログラマを仕事に選択して、趣味で音楽をやろうと決めた訳です。

んで、プログラマとして無事就職。色々とやっているうちに業務コンサルまでやるようになりました。
でも仕事上新しい言語を触ることもあるんですよ。大抵の人は「わからないからできない」って言うんですけれど、僕は小学生時代からのプログラム経験を生かして、今でもプログラムを書いている訳です。

思った通りに書けば思った通りに動くプログラム。僕には転職だったのかもしれません。

では。

 

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