ダウ90000の蓮見さんのYoutubeチャンネルである『蓮見水族館Official』の動画を見ていたら蓮見さんの書いた作品が岸田國士戯曲賞にノミネートされたが惜しくも落選と言う場面が映っており「人生で一番悔しい!獲れたと思ってた!」と悔しがっておりました。でもそれを見ながら『全力を尽くしてもダメだったという経験って大事だなぁ〜』と思ったのも事実です。
動画を見終わったあと、
『人生で一番悔しかった時』
と言うのを思い出してみたのですがこれと言ったエピソードは出てきませんでした。
あんまりリスクをとらない人生を送ってきたからだと思います。
僕は高卒で奇跡的に大企業に入っているので昇進に対する”悔しさ”はあまりないです。日本はまだまだ学歴社会なので「だったら大学行けば?」と言われればそれまでですからね。ちなみに高卒の同期が昇進すると「俺たちの中から成功者が出た!」と喜ぶタイプです。氷河期入社でまだ会社に残っている高卒は結構タフなのですよ。
大好きな人を奪われた!と言う悔しさもないです。と言うか自分が大好きな人とお付き合いできた経験がほとんどないのです。
勿論恋愛は過去に色々としましたが「来るものは拒まず、去る者は追わず」の精神でした。「この人が居なければ僕は生きていけない!」みたいな思いは無いです。寂しいっちゃー寂しい。
ネットゲームの麻雀とかでは理不尽に思える程のタイミングで負ける事はよくありますが、これは最早運ゲーなので無課金で遊んでいる身としてはすでに「こんなことで悔しいと感じるのは勿体ない」と思っています。『所詮ゲーム』と思える所は加齢のなせる技術なのでしょう。
……ちなみに仕事以外では作曲をしたりブログ(このブログ)を書いたりしていますが賞レースに応募した事は無いので冒頭に書いた蓮見さんのように”落選”と言う悔しさを味わった事はないです。しかし“入選“の可能性もゼロ。どこまでもチキンだなぁ〜俺。と思う事しかり。
ラジオは大好きなのでたまにメールを送ったりしますが、これがたまに読まれたりしているので”採用率”(読まれた本数 / 送った本数)としては高い方だと思います。毎週のように読まれる『メール職人』には天と地との差がありますがそもそも僕はほとんどメールを送っていないですし、たまぁーに送ったメールがなまじ読まれたりするので「誰々さんのメールは読まれたのに俺のメールは読まれなかった!」みたいな悔しさはありません。
そんな僕でも、やっぱり”悔しい”と言う経験はあった方が良いと思っています。それがステップアップの原動力になるからです。心の底から悔しいと思う事って相当な自信とかチャレンジに伴うと思っていて、それってやっぱり”若さ”も大事な要素だと思うんです。
一部の例外を除けば50歳を過ぎてからチャレンジするリスクに対する成功率は驚くほど低くて、転職や起業など職を変える場合は大半は取り返しが付かなくなったりします。そのため、歳をとればとるほど「そんな事に熱くなっちゃってどーすんの?」なんて斜に構えてしまいがちですが本心では「俺ももっと若ければチャレンジしてみたかった!」なんて思っていたりするのです。
僕は体育会系では無かったので経験はありませんが、野球やサッカーに打ち込んでいた人は「試合のメンバーに選ばれるか?」とか選ばれたとして「相手チームに勝てるか?」といった数多くの経験の場があるのかもしれませんね。高校野球とかを観ているとやっぱり負けたチームは悔しそうに涙を流していたりします。でもそこまで打ち込んだんだから良い経験になっているのだと思いたいです。悔しさは”負け”では無くて“糧“なんだろうと。
人生で失敗や悔しさを経験しないで成功ばかりしている人は歳をとるにつれ未だ経験した事が無い『失敗』を恐れて手が鈍るのではなかろうか?なんて勝手に思ったりもしています。やっぱり大物になるためには若いうちに挫折や悔しさを味わっておくのが大事なのかも知れません。
そして、もしかしたら僕が誰かを「悔しがらさせた」可能性もあるかも知れません。こればっかりはそう言う当人から聞いた事が無いのでなんとも言えないのですが……。
アナタの人生で一番悔しかった思い出はなんですか?そしてその悔しさが今どのように活きているか?……ちょっと思い出してみるきっかけになってくれると幸いです。