空気階段の鈴木もぐら。
独自の哲学を持ち、人からどう思われようが気にしないタイプの人間。
番組の企画でダイエットを強要されると企画成功時のご褒美を要求し「自分が死んでもいいからダイエットする」という本末転倒にも思える行動に出て無事成功するし、最近では楽しんでダイエットをしているが、数ヶ月で30Kg近く落とすという度を超えた事も行っている。酒と食べ物とギャンブルに目がないが自己の目的の為にはその欲求すら封印する事ができる男。
非常に文才がある。相方の水川かたまりには(おそらく)持っていないであろう独自の文体。
そんな鈴木もぐらが、食に関するエッセイ集を出版した。名前は『没頭飯』。
この本は「この店は隠し味に何を使っているから美味しい」とか「素材の仕入れに情熱を注いでいるからこそ出る味」のような蘊蓄を語るエッセイでは無い。
孤独なおじさんが、自分の欲求の赴くままに脳が旨いと言っている物を食べた思い出を綴っているだけだ。
理屈が無いのだ。美味しいものは美味しい。

高円寺に住み、賞レースで優勝した時に駅前の商店街に大きな垂れ幕がかかった為に「高円寺から別の場所に引っ越しできなくなった」と笑いながら話す。エッセイの中には高円寺の飲食店のものが多く収録されており、”和洋中”のジャンルに”高(高円寺)”を入れてもよいくらいと書くほど高円寺に依存している。
ちなみに、歯が致命的に汚い。と言うか虫歯を治療するという気がなく時折歯が取れている。”歯がないおじさん”はこうやって出来ていくのか?を着実に歩んでいる男。
思えば、バナナマンの日村勇紀も食べ物は好きだが歯並びの問題や虫歯が非常に多かった。が、総インプラントを行い”テレビに映しても良い綺麗な歯”を得た結果、全国を回るゴールデンタイム放送のグルメ番組を持つ事となっている。
自分の食への思い、哲学はどこから生まれたのか?鈴木もぐらの場合は母の食に対する哲学になる。
空気階段のラジオを聴いていたり、鈴木もぐらの生い立ちを読み聞きしていると壮絶な家庭環境、境遇の中で育った事がわかる。ラジオ番組では母親を弄ってはいるが、食の原点は母譲りのものがあるのが面白い。
家庭環境、境遇が複雑な中で幼少期を過した人は「俺はあのようにはならない」と反面教師を覚える人がいると思うが、鈴木もぐらからはそれを感じない。ある意味家系の正統後継。
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人にはそれぞれ『思い出の味』がある。
芸人たちもベテランになってくると自身の番組で「若い頃にあそこで食べたアレ、美味かったなぁー」と言うエピソードが出てくる事が多い。
年を取れば誰だって思い出話が出てくる。
芸人に限らず自分の人生をなぞっていくとその時々の思い出にリンクして”忘れじの味”が存在するのは必然なのだ。
そんなエッセイ集。
かしこまって読む必要も無いし、何も考える必要は無い。
しかし読後感は非常に良い、そんな一冊。


