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懲役15年ー漫才師にとっての「M-1」と言う牢獄

M-1はお笑い(漫才)ファンとしては年末の祭典ですよね。競馬好きの有馬記念みたいな。

さて、僕はお笑いも好きですしラジオも好きなのでM-1終了後の1週間のラジオが楽しみだったります。特に深夜ラジオはお笑い芸人が枠を持っている事が多いので素直に感想も聴けますしゲストを呼んでいれば(もちろんM-1の前にオファーを出しているので誰が呼ばれるかは賭けですが)さらに裏話が聴けたりします。

そんななか、TBSラジオの水曜JUNK「山里亮太の不毛な議論」を聴いていた時にゲストの男性ブランコが話していた時のエピソードが興味深かったのでその感想を書いてみたいと思います。

ちなみに山里亮太さんは”南海キャンディーズ”としてM-1に過去出ており、男性ブランコさんは2022年のM-1でウエストランドさんがいなければ決勝ラウンドに残っていたコンビです。

その中で「M-1ってのは懲役15年の監獄。優勝する事で恩赦として出獄する事ができるが出獄できなければひたすらネタを作らされる地獄のような場所」と言うような類いのエピソードを話されていて「なるほどなぁ」と思った次第です。

たしかに”漫才師”を目指したからには確実に売れる道としての”M-1″が存在します。
もちろん、参加は自由ですが、出ないなら出ないで「なにスカしているの?」みたいな雰囲気になるかもしれませんし、一旦、準決勝とかまで上がってしまうとその翌年に”M-1″不参戦を示すにはある程度今の生業っで食べていける位の給与が継続して貰えるような状態で無いと厳しいのではないでしょうか?
(あの、アルピーさんですらラストイヤーには参戦を決意して敗者復活戦まで進出していますしね)

なんか、若手漫才師として”M-1に出ない”と言う事は”何かから逃げている”ような気がして……。
なので、”M-1″優勝者は「やっと来年からM-1に向けてネタを作らなくて良くなった」というのが本音なのかも知れません。

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もちろんM-1に出ることにより優勝はしなくてもブレイクは可能です。オードリーさんとかは優勝はしませんでしたが、M-1で確実に爪痕を残し視聴者に”見つかった”為、ブレイクしましたね。オードリーさんがM-1に出ていなかったら、今のような”若様”、”春日”の活躍は無かった思います。

漫才って凄い厳しい世界だと思います。コントのように小道具を使うこともできませんし、サンパチマイク1本で漫才をします。
さらに”M-1″は競技漫才と呼ばれる位ストイックでして4分という尺をどのように使うかによって全然変わってくるそうです。(これには賛否両論あるかもしれませんが、一定のルールを決めないと大会ってのは難しいです)

コントも劇団も大変なのは分かります。さらに言うとミュージシャンもダンサーもあらゆる芸術を作るクリエイターが「認められる」のはとても難しい世界です。

漫才には”M-1″と言う絶対的な場が与えられています。夢・希望・大会の規模。漫才ガチ勢のスタッフによるガチの戦いです。

しかしながら、その”M-1”の権威が大きくなりすぎているのも事実。しかしながら個人的にはこのような賞レース(結果が伴うもの)が用意されているのって素敵だなぁ。と思ったりします。

 

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