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コンピューターが人間を越えれないと思う理由

2045年に技術的特異点が現れてコンピューターが人間を超えると言われています。最近ではAlphaGOの活躍によるディープラーニングと量子コンピューターにより、その時期は早まるのではないか?とも言われています。

僕はシステム屋ですので、このことをよく考えます。よくネットでは「コンピューターにより要らなくなる業種が出てくる。」と言われています。例えば、自動運転などが整備されると、運転手つまり長距離トラックやタクシーがなくなるのかもしれません。また、囲碁や将棋もコンピューターに勝てなくなり、その職(プロ棋士)が奪われるかもしれません。(あくまでも趣味としてれば問題ないですが。)

あとは、プログラマーが不要になるとも言われています。ある程度の仕様書をかけば人工知能がそれを判断しプログラミングしてくれるとも言われています。ある意味、ブラック業界潰しかもしれません。コンビニとかのレジも仕組みが整えば全てコンピューター化されるとも言われています。(2017年現在、コンビニはすでにAmazonGoと言うサービスが始まっています。)

でも、それを持って、コンピューターが人間を支配すると言えるか?人間の仕事がなくなると言えるか?と言う点にとって、技術屋(僕の仕事)ではなく、心理学(僕の趣味)として「?」を言いたくなります。

それが、フロイトの唱えるes(エス/イド)です。無意識の状態から、何かを生み出そうとする原動力、それが、esと言われています。wikipediaによれば、

エスはとにかく本能エネルギーが詰まっていて、人間の動因となる性欲動(リビドー)と攻撃性(死の欲動)が発生していると考えられている部分である。これをフロイトは精神分析の臨床と生物学から導いた。性欲動はヒステリーなどで見られる根本的なエネルギーとして、攻撃性は陰性治療反応という現象を通じて想定されたものである。またエスは幼少期における抑圧された欲動が詰まっている部分、と説明される事もある。このエスからは自我を通してあらゆる欲動が表現される。それを自我が防衛したり昇華したりして操るのである。

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とあります。何かを”指示”すれば、それはコンピューターの方が人間をうわまるでしょう。エゴ、スーパーエゴです。でも、性的欲求、死の欲動を司る、生命体が本能として持ちうる無意識、つまりes(エス)はコンピューターには作り出せないのではないでしょうか?確かに乱数を持ってすれば、無から有を作ることができます。しかし、それが「種保存の法則」や「自殺」(=死への恐れ)につながるでしょうか?

人間は、他の哺乳類と同じく、種保存の法則によって、性欲を持って、恋をして、子供を作ります。その子供が自我を持って、新しいものを作り出します。そして、それが巡り巡って今があるのです。コンピューターもその制作物の一つにすぎません。

果たしてコンピューターが自我(エゴ)を持った時、それに伴うes(エス)はプログラミング可能なのでしょうか?もしかしたら、今も、世界のどこかでスーパーハッカーがエスを持った人工知能を考えているのかもしれません。それが、技術的特異点になるのであれば、それは進化です。本望です。受け入れましょう。

では。

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