ここをクリックしてお気軽にお問い合わせください!

僕がプログラマーになった訳

僕は今の会社にプログラマーとして入社しました(と言うか転職歴がないので今の会社というのも変ですが)。厳密に言うと「システムエンジニア」と言う肩書きで入社し、プログラマーからスタートしたと言う感じでしょうか。

入社して20年を超えます。同期の中には管理ばかりがメインになって「もうプログラム忘れたよ」と言う奴も出てきています。でも、今でもプログラムを書くことがあります。どうも僕は「プログラムを書く=自動で動く=合理化」と言う感覚が好きなようです。

今回は僕がプログラミングを始めた経緯を書いていこうかな?なんて思います。

事の始まりは「ファミコンのゲームを自分でも作れる!」と言うキャッチワードで出たファミリーベーシックでした。その時、波秋少年は何を思ったのか「適当(デタラメ)に書いてもゲームが動くかも!?その時はどんなゲームになるんだろう?」と言う知的好奇心を持ったんですよね。
今でも僕が覚えているプログラミングへの衝動の原体験となっています。実に僕が小学校3年生の頃です。

3449914b22db74a66e13eb87b79b040618ed247c l

勿論、でたらめに書いてもゲームは動きませんが、その時に頭の中のスイッチがオンになったような気がしました。

小学校の頃はファミリーベーシックではなくてMSXって言う家庭用TVに繋いで遊ぶコンピューター(安い)やポケコン(ポケットコンピュータ。簡易液晶がついた高級電卓。そんなに高くない)で遊んでいました。
勿論、売っているゲームでも遊びましたが、自分でもプログラミングをしていたんですよね。

かと行って、当時から設計してプログラミングが出来た訳ではありません。当時、マイコンBASICマガジン(通称ベーマガ)と言う本が月刊で出ていて(電波新聞社と言う今考えれば少々危ない名前の出版社でした)、機種別にいろんなゲームのソースコードが載っていたんです。それを見ながら実際にプログラムを打ち込んで遊ぶのが好きでした。

中学時代になるとNECのPC-88シリーズの機種を買ってもらいどんどんとプログラムに没頭して行きました(当時はPC-88とPC-98がありましたが、値段が段違いでした)。
まだ簡単なプログラムしか組めませんでしたが、本当に作るのが楽しかった。その頃から本には載っていないような事もできるようになっていましたね。

高校時代になると友人たちとパソコン部に入ります。基本、顧問の先生はほとんど訪れず自由だったので、自由にプログラムしてました。ノルマも目標もなし。高校のパソコン室を占領して思う存分プログラミングをしていた訳です。

当時の先輩たちが結構本格的なゲームを作っていて「すげー!!」って思っていました。「一人でもこんなゲーム作れるんだ!」そんな感じです。
その先輩たちが在学中に結構色々なことを教えてもらったような気がします。積極的に質問をしていたような。(余談ですが、当時そう言う凄い先輩が2人いて、お互いに切磋琢磨していたように記憶します。片方は技術系、もう一人は音楽系が得意でした)

そんな中、僕と友人連中でゲームを作ろうといていました。でも、なんか僕たちは違っていて、「ゲームを作るなら絵が必要!ならば、まずグラフィックエディターを作らなくては!」的な発想になったのです。

結果、僕がキャラクターエディター、友人はグラフィックエディターを作っていました。エディターはできたのですが、一向にゲームはできません。何故かと言うとエディター作りが楽しくなってしまい「あの機能も欲しい、この機能も!」とか言ってバージョンアップを繰り返していたからです。本末転倒とはこの事ですね。

当時は難易度が高かったアセンブラもやっていました。
当時先輩が使っていたCPUが「Z80(通称ゼッパチ)」と言うものでZ80用のアセンブラの解説書がペーパーバックのようにしてあったのです。あれが読みやすくてなんかペーパーバックってのがカッコよかったんですよね。
でも、僕の時代は「8086(ハチマルハチロク)」と言うCPUだったので、良いお手本になるような実用書がなかなか見つからなかった思い出があります。インターネットなんて無かったので、当時は言語習得には本屋さんで売っている技術書を買って読むしかありませんでした。

なので、地元ではなく、札幌に遊びに行った際は本屋を色々と回って自分に合った技術書を探すのが趣味でした。本当に本屋ばっかり巡ってました。

そして高校3年になり、僕は「プログラムができる会社」と言うターゲットで会社を選んだよです。僕の田舎の北海道の会社ではまだそう言う求人が来てなくてやはり勤務場所は関東になってしまいました。まぁ、結果的に大企業に高卒で入れたので結果オーライと言えば結果オーライですが。

考えてみれば小学生からプログラムをやっていた訳で、もし現代に生まれたら小学生でiPhoneアプリを作っていたかもしれないと思うと…イヤイヤ、IFは考えないようにしましょう。

最近の子供はマインクラフトなるゲームが人気だそうで、これもプログラムを学ぶきっかけになる人が出てくるのかなぁ?なんて思っております。

今、振り返って見ても本当に子供の頃からプログラムばっかりやってたんですね。そりゃ理論的に話すイヤな奴になるはずです。女の子にモテるはずがありません。

僕が文学と出会うのは会社に入ってから。それはまた別のお話で。
では。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です