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夜行列車に乗った思い出

最近(2020-2021年)、日本の音楽で『夜好性』と言うジャンルが流行っているらしい。
2020年に紅白に出た”YOASOBI”を始め、”ずっと真夜中でいいのに。”、”ヨルシカ”とかそう言うバンドの総称。全て深夜(真夜中)にバンド名が掛かってるので『夜行性=夜好性』。主に10代の間で流行ってるみたいだ。

すっかりおっさんになってしまった僕はおっさんを超えておじーちゃんレベルなので20時には寝て4時に起きる生活になってる。
深夜ラジオは次の日にタイムフリーで聴くし、本当に夜は寝てる。今の僕にとって「夜は寝る」と、そのままなってしまった。

でも、若い頃にとっての『深夜』ってのは実に良いものだ。いけない遊びをしている気もするし。まさに「真夜中の夜遊び」、そう言うのは是非若いうちに経験しておいて貰いたいと思う。人生の経験値が全然変わってくる。

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さて、皆さんは”深夜特急”と言う本を読んだ事があるだろうか?沢木耕太郎さんが書いた紀行小説である。実に面白いので機会があったら読んでみてもらいたい。
多くのバックパッカーを生み出した本。読んでおいて損は無いと思う。

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コロナ禍で『移動』ってのがなにかと制限される時代になっている。それは日本に限った事ではなく世界的な制限だ。
世界が一丸となって新型コロナの収束に向けて動いている。『旅』ってのは今のご時世、したくても出来ない事の一つだ。

ここで、もう一度『旅』について考える時期に来ているのかもしれない。

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さて、コロナの前に時を戻そう。

これを読んでいる皆さんも色んな『旅行』をしたと思う。同級生とか同僚、恋人や家族と近くの温泉に行くってのも『旅行』だし、ハワイとかに行くのも勿論『旅行』だ。

僕も色んな『旅行』をした。温泉地巡りとかは良くしたものだ。目的がよくわからずに友人と新潟に行ったこともあった。

ちなみに僕は海外旅行ってのをした事がない。仕事で海外に行った事はあったけれど行き先は全て韓国。年に4回のペースで行った。僕にとって「行ったことがある海外」は“韓国”しかないのである。実に視野が狭い。がっくしである。

さて、ここからが本題。

僕は北海道の小樽と言う街に産まれた。札幌の左上にある町。海産物、特にお寿司が美味いと呼ばれている街である。
まぁ、小樽にいた頃にお寿司なんて食った事なんて無いのだが、母親が作ってくれる夕食の焼き魚が美味しかった思い出がある。ホッケの大きさが半端ないのが実に良い。関東ではなかなか食べられないんだ、これが。

僕は18歳で会社に入った。会社の場所は関東。僕は神奈川県のある街の寮に入ってた。
高校卒業と共に関東へ…上京物語って奴。
今では信じられないと思うが500人以上収容可能なマンモス寮に入って生活していた。同期2人が相部屋になると言うスタイルだった。寮が大きすぎて浴場(共同浴場、共同トイレの寮だった)から自分の部屋まで移動する間に湯冷めできるほど時間がかかったほどだ。

今でこそ会社の同期や部署の同僚とも仲良くさせてもらっているけれど、会社に入ってからの最初の数年の夏休みとか冬休みには田舎に帰ってたと記憶する。
若い頃は田舎の友達もまだ結婚しておらず、言い方は変かもしれないが「かまってくれた」のである。”親に会うための帰省”ではなくて”友人と遊ぶための帰省”。寝床は実家がある!位の感じだ。

田舎への移動は9割飛行機であった。なにせ楽だ。羽田から新千歳までは1時間30分あれば到着する(まぁ、新千歳から小樽までの汽車の移動にすげー時間かかるのだが)

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ある年末、僕はお客様の都合で福島県で数年間ほど仕事をしていた。2年間位だったような気がする。
冬休みはある。「どうやって北海道に帰ろうかなぁ?」くらいにボンヤリ考えてた時だ。そんな時、同じ小樽から上京した関東に住む鉄道好きな同級生が「夜行列車で帰らないか?2人部屋の個室取れるよ」と言ってきた。

おぉ、それもオツではないかって事でその話に乗ることにした。
上野発だろうか?僕は途中で停車する福島駅から合流することにさせてもらった。実にありがたい。

携帯はあったけれど、インターネットはまた普及して無かった時代の話。

同級生は下戸だったのでお酒を飲まなかったけれど、僕は列車に乗るなりすぐにたらふくビールを飲み、ガタンゴトン進む夜行列車に揺られていた。
食堂車ってのもあったけれどそこでは飲まなかったはずだ。シャワー券なるものがあってシャワーを浴びれるシステムがあると知ったのも初めてだった。

2人個室ってのも良かった。決して広いわけではないけれどぎゅうぎゅうに狭いわけでもない。同級生とお互いに近況なんかを話してた。なんか、お互い若いなりに”他愛のない話”って奴をしていた気がする。今みたいにスマホポチポチとか無い時代。言い方は恥ずかしいが『語りあう』って奴だったと思う。

そのうちに僕はビールの酔いで眠ってしまった。

……「ん?」

僕はどこかで目を覚ました。時計の針は1時だか2時だったような気がしてる。もしかしたら3時か4時だったのかもしれない。とにかく冬の夜は長い。陽が登ってなければ”夜”だ。

列車は、ある駅にしばらく止まっていたようだ。
深々とホームに積もる雪を見ながら、ぼんやりと「ここはどこだ?」なんて発言をした記憶がある。

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さて、皆さんは雪国の夜というのを経験した事があるだろうか?とても空気が綺麗で驚くほど静かな空閑。
電車の窓から見ただけなのでその感覚は半分も感じられなかったが雪国出身の僕としては多感な高校時代を思い出し懐かしい気持ちになった。

ちなみに同級生は起きていたみたいで「ここはね、xx駅だよ」と教えてくれた。駅名までは流石に失念したけれど青森県だったような気がする。

僕は「あぁ、そう言えば移動中に日を跨ぐ事って今まで無かったな」としみじみと思った。長距離移動の旅というのはやはり日を跨いで欲しかったのだ。

夜が明けて昼頃に列車は札幌に到着した。
旅(大移動)の終わり。
その後小樽に移動し、僕らはそれぞれの実家に帰った。田舎に帰ってからは「いつもの年末」だったんだけれども、あの深夜の駅、なんとなく雰囲気が良かったなぁ。

スマホどころかガラケーにカメラも付いてなかった時代。
ただただ、電車に揺られ酒を飲みながら移動するだけ。タバコがまだ電車の中で吸えた時代。

今、ネットでちょっと調べたけれど僕が乗った夜行列車はカシオペアか北斗星のどちらかだったみたいだ。実のところ覚えてない。(後日、同級生に確認したら北斗星との事)

『移動』と『旅』って何が違うのか?と少し考えたんだけれども、日常で繰り返し移動してるのを『移動』、非日常で時には新たな移動手段で新たな場所に行く工程が『旅』たんじゃないかな?なんて、ふと思ってる。

シベリア鉄道ってのがある。
シベリアとロシアを繋ぐ鉄道。移動時間は実に約1週間。なので勿論日を跨ぐし途中から乗ってきて途中で降りる人も多数いる。
人それぞれに『旅』のドラマがある。

コロナが収束したら、日を跨ぐような夜行列車に乗って長距離移動してみたいなって思った。

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