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Iさんの思い出

ある仕事の関係で元部下の女性と久々に話す機会があった。
“部下の女性と”なんて書くとセクハラ的なイメージがあるが、部下ってか7人くらい同時に部署に配属されたうちの1人。

後に僕が”伝説の2002年組”と勝手に呼んでいるのだけれども今は全員管理職になってるエリートな年代だった。

そして、その女性は僕のタイプではあることには、あった。

そんな事を思い出しながらふと、『I』さんの事を思い出したんだ。おそらく、何かのきっかけが無いと思い出さなかったんだろうけど、今回きっかけがあって思い出した。
それだけの事。

『I』さんには間接的にお世話になったのでここで感謝とお礼を込めて書くことにする。

『I』さんはパートナー会社の人で僕とは間接的な付き合いであった。当時、僕は『Y』と言う『I』さんと同じパートナー会社の人とつるんでいた。

今で言うともうモラルハラスメントなのだが、たまに飲んでて『Y』さんが「おう、『I』呼ぼうぜ」と言っていて、まぁ途中で飲み仲間を増やすってのは普通にあったので疑問に思ってなかったのだけれども『I』さんは酔っ払って煽てられると「ここは半分俺が出すよ」とか言ってくれる人だった。
「あぁ、そう言う意図があって『Y』さんは『I』さんを呼んだのか…」なんて思ってた。

当時、まだそう言う感じが残ってたんだ。
変なプライドで「ここは俺が驕るよ」なんて言う人もいたし…今思うとサラリーマンなのに芸人みたいな生き方をしてたなぁ。

さて、2002年に7人も同じ部署(ウチの部署)に配属された。
会社は大きかったので何人もうちの部署に入ってくる事はおかしな事では無いが、7人ってのは流石に『多いなぁ』と思っていた。

ただ、就職氷河期を乗り越えてきたヤツらだ。面構えが違う。
ウチの部署では入社してから一人で現場配属されるまでに比較的リスクの低いプロジェクトの開発に指導者をつけて勉強させる手段を取ってきた。

その『黄金の7人』は『I』さん指導の元プログラミングに励むことになる。

今でも覚えてる、当時の新人達が「波秋さん!リストを一行置きに色変えるのに成功しましたよ!『I』さんに教えてもらいました!」とか…

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今思えば「小さな事で喜んでるなぁ」と笑い話に出来るが当時の新人達にとっての成功体験は変え難い経験だったと思う。

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さて、『I』さんは持病を持っていた。記憶が正しければ糖尿病と何かの病気の合併症だった。

『I』さんが入院したと『Y』さんから聞いた。
そして、その数ヶ月後、呆気なく『I』さんは逝ってしまった。

悲しくはあった。でも、なんか不思議な感覚だった。仕事上の知り合い、数ヶ月前まで普通に話してた人が亡くなってしまうなんて経験をした事が無かったから…。

その翌日、お世話になった新人7人を連れて通夜に行った。千葉方面だったがどこの駅までは覚えていない。
申し訳ない限りだ。

お通夜の帰り、7人は強かった。泣かなかった。
みんなで居酒屋に行きお酒をたらふく飲んで思い出を語った。それで昇華出来たと思いたい。

帰り道、総武線快速でも色々語った。他の乗客には迷惑だったかもしれない。これも申し訳ない。

Yokoso113 37 91n

最初にも述べたが、その7人は今は全員管理職になっている。素晴らしい事だと思う。

冒頭に述べた女性に話を戻す。
彼女はクレバーだった。綺麗でビジネスウーマンだった。僕が声をかけるなんて烏滸がましいと思った。実際、声をかける事は無かった。
声をかけてたら世界線は変わってたのかな?プリテンダーだ。

僕が35歳になって寮を追い出されることになった時、時を同じくして彼女は同棲することになったらしく引っ越しでいらなくなるから、と冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機を貰った。なんか変な感じだった。ちなみにそれらの家電は矢向に住む今も元気に動いている。

久々にその女性と会話した。
子供はもう今年小学生になるらしく、家で鬼滅の刃の歌とドルチェアンドガッパーナの臭いがする歌を歌いまくってるらしい。

時間が経つのは早いね。
でも、どんな形でも『I』さんを思い出すことが出来て良かった。人間、脳みそに記録されたものは消えることが無いと聞いた。ただ思い出せないだけだと。

今日、僕は僕の中の『I』さんの記憶とシナプスを繋ぐことができた。
きっと、それで良い。それだけで良いのだ。

『I』さん、『I』さんの教え子はみんな立派になったよ。あなたの指導のおかげです。

本当にありがとうごさいました。

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