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思い出の味

夏休みのある日、お昼のラジオを聴きながら移動していると、どの番組か忘れてしまいましたがゲストにカレー評論家の方が来ておりました。
僕はその方を知らなかったのですがかなり前からカレーに取り憑かれて研究しているとの事(ちなみに小宮山雄飛さんではないです)。

パーソナリティーとの会話の中で「僕の中で”思い出のカレー”っていうのがあるんですよ。でもその店は大分前に閉店してしまってもう食べる事ができない。それが最近になってその店のカレーのレシピを知人の伝手で手に入れましてね。なんかそのレシピを元に再現できる人がいるみたいで『食べます?』って聞かれたんですがお断りしました。あの時の思い出の味が薄れてしまいそうで……」と。

それを聞いて、「やっぱりそうなんだよなぁ〜」と。

さて、人間の自我が確立するのは一般的に12歳〜25歳と言われているみたいです。多感ですし、無限の体力がありますし、おそらくお金は無い時代。
その時代に食べた食べ物ってかなりの確率で「自分の思い出の味」になると思うんですよ。僕もそういう食べ物が幾つかあります。

一般的には、その後、自立して自分のお金で美味しい食べ物を食べる機会を経て、人は老化と共にどんどんと食べられなくなっていく。そういう生物です。

“思い出補正“って言葉があるくらいで、その時代に自分を形成した“自分の中の絶対正解の思い出の食べ物”だって、他人からしてみれば「そんなでもないけど」になってしまうことがあります。
思い出の味談義は全然良いと思いますが、今でもその味(店)が食べられる場合に「絶対美味しいから食べて!」と誘って感想を聞くのはセンシティブなので注意が必要。

Syokuji boy

成功した芸人さんとかミュージシャン達のエピソードでも「全然お金も稼げなかったけれど、あの店のxxってメニュー美味かったんだよなぁ」っていうのを聞いたり見たりする事があるかと思います。
おそらくですが、そのメニューって確かに美味しいと思うんです。でも今の自分の味覚からすると「そこまで絶賛するほどかな?」って思ってしまうかも知れません。それがちょっと怖い……と言うのが冒頭のカレー評論家の感想なんだと思います。

味覚には好みもありますし、”空腹は最大の調味料”なんて言葉もあります。

例えば、登山して疲弊した末、やっと山頂に着いた時に「さぁ、これをどうぞ!」と出されたフランス料理のフルコースを食べるよりも、カップラーメンを食べた方が美味しかったりとか。
あと、僕は家系ラーメンは好きですけれど、二郎系ラーメンはあまり得意ではありません。多分、逆も然り。食べ物に正解って無いんです。
他の国の料理も入ってくるとそれはもうとんでもない種類がありますからね。

あと、ラジオとかパーソナリティーがたまーに思い出の料理の話をするのは楽しいのですが、テレビなど画像込みでやる場合は番組の都合上で「これを美味しいと表現してね」と言う演技指導が入ったりすることがあるかもしれません。毎週やっている番組とかなら尚更。
毎週毎週そんなに掘り出し物(美味しい物)って無いと思うんです。だから演者側からしての“ハズレ回“ってきっとあるはずで……。でもそれを観た人が、「番組見て食べに行ってきました!本当に美味しかった!」とかの感想をSNSに載せてたら、半分は“情報”を食べている可能性はあります。

グルメ系ブロガーやYoutuberはまずい店や食べ物をどう表現するのか?

後、”思い出の料理再現あるある”で、再現した料理を依頼者が食べて「違う!俺の思い出の味はもっとチープでこんなに美味しくなかった!」パターンもあります。今は食材の入手も昔より容易になっていたり調味料とかも改良されていますからね。完全再現としては古い素材を使ったり……と「不味く作らないと再現できない」と言うジレンマがあります。

料理漫画やドラマで「あの時の味を再現」パターン

勿論、本やテレビ、ラジオなどで好きなアーティストや芸人さんの思い出の味を食べに行くと言うのは移動の動機にもなりますし「あぁ、あの芸人さんもこれを食べていたんだ」という共有感も湧きますのでとても良い行いだと思います。

それをもう一歩進めて、自分なりの思い出の味を思い出してみたり「おぉ、まだ有名になってないけれど、こんな美味しい店見つけたぞ!」って言う発見をしてみるのも良いかも知れませんね。

あと、食の好みが合う人とは友人であれ恋人であれ長続きする気がしますので、「大好きな人に告白してOK貰えたけれど、毎回デートの時の食の趣味が合わないんだよなー」って言う人は割り切るか、時間をかけて少しづつ歩み寄っていくのがよいと思います。

かしこ。

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