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愛を込めて、あえて佐久間宣行の功罪

はじめに

佐久間宣行さんというテレビマンがいます。元々テレビ東京のサラリーマンでしたが、現在は独立してフリーになっています。

最近の活動として佐久間さんはYoutubeチャンネル開設やニッポン放送のオールナイトニッポン0のレギュラーなど、どんどん前面に出てきてますが、その姿勢にふと「?」と思ってしまったんです。

なんでだろう?と自分なりに考えてみました。

  • 佐久間さんは『テレビ東京のただのサラリーマン』だから面白かった。
  • カルト的な人気番組”ゴッドタン”はテレ東の深夜だから面白かった。
  • 不定期に単発で(本当にやりたかった)ラジオをやるのも面白かった。

だから、テレ東と言う”テレビ局としては弱小だけれどもその分小回りがきく局”でエンタメ(お笑い)に関して独自の観点からモノを作る。
そう言う感じが良いなって思うんですよ。

「どれだけ会社の売り上げに貢献しても結局はサラリーマン」ってのも良かったし、テレ東の予算だから豪華なメンツを呼べない代わりに、これからブレイクしそうな芸人を探してきて育てるって感じがしたんですよね。
「それだけすごい事をしても特別ボーナスとか出ないし、それでもテレビマンとしての意地は持ってたんだよな」って。

そう言うところが番組も勿論のこと”テレビ東京・佐久間宣行”が大好きだったんですよね。

フリーになってからのコンテンツ

最初にも書きましたが、今現在(2021年4月〜)の佐久間さんは独立してフリーになってしまったんですよね。
これだけ会社に貢献している(コンテンツ自体やそれに関するグッズ・イベントの売上など)ので、会社側としては管理職への昇進しか会社としてはパスを用意できなかったんでしょうね。特段1人だけ給与体系が変えられないのもサラリーマン、日本企業なんですよね。

そうなってしまうと現場での仕事が難しくなってしまうのは本人もわかっていたので、あえてフリーとしての道を選んだと言っています。

フリーになっても、テレ東の番組のプロデューサーは引き続き行ってますし、フリーになることにより他局でも”フリーのプロデューサー”や”文化人”として番組出演が可能になりました。

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でも、今のところ他局の番組制作には携わっていない模様です。確かにフジテレビには片岡飛鳥チルドレンがいますし、テレビ朝日には加地さんがいます。TBSには藤井健太郎がいますしね。日テレはまぁ土屋ラインとでもしましょうか?

今のテレビを引っ張っている2人

なので、これからキー局でバラエティーの制作に直接携わる事は難しいのではないかな?と思っています。今現在はラジオとかYoutubeでテレ東時代の貯金(タレントブッキング能力)を使い頑張っていると言った感じです。

佐久間宣行さんの功罪

さて、ここが本題なのですが、佐久間さんがラジオやYoutubeで結構お笑いに関する深い部分の”裏話”をし始めたんですよね。別にたまになら良いと思うんですよ。リスナーとしては「裏話聞けた!ラッキー」みたいな感じで。でも、その頻度が増えてきてるような感じがしてます。

知る人ぞ知る笑い。”お笑いオタク”の為の笑い論。お笑い芸人の裏話を通して芸人論を話し始めた感じがあるんですよ。

簡単に言うと、

本来の裏方がメインに立って、メインで裏話をし始めた。

これは逆なんですよ。毎回やっちゃいけない。
あくまで「弱小局であるテレビ東京で限られた予算内で番組を作る」佐久間さんだから面白かったんです。

これにより現役芸人が「実は…」とネタバレ(裏話)をしてしまう場を広めてしまったような気がするんです。
本来ならばその芸人自身のラジオ番組や雑誌などを能動的に調べて、整理していかないと分からない情報。

正直現役を退いた芸人から昔の裏話を聞ければ「なるほどなぁ」と思えるお宝話です。
僕は佐久間さんの功罪ってそこだと思うんですよね。引退や一線を退いた後の「実は…」ってのは面白いんです。「あぁ、そうだったのか!」となるんですけれど、現役バリバリで活躍している芸人の裏話っていうのは聞く事に関しては、もちろん楽しいんだけれど、”消費される笑い”にどんどんと落としこまれてしまっているのでは?って思ってます。

ビートたけしやドリフターズが現役時代には絶対にそう言う裏話や美学・哲学は話さなかったんだと思うんです。少なくとも50歳を超える前までは…
ダウンタウンの松本さんが、まだ坊主にする前のバリバリに尖ってた時代に『遺書』『遺言』って言う本を書いている(厳密には連載エッセイをまとめたもの)んですけれど、それを読むと本の頃の尖ってた松本さんと金髪マッチョの今の松本さんって違うんですよ。

裏話といっても芸人とかのエッセイは面白いです。それは僕も実感しています。でも、それはその芸人の本業の裏話ではなくて、その人のマインドみたいなものを感じ取れるのが好きなんですよね。あと、そもそもエッセイは一人称の文体であり、インタビュアーとの会話ではありませんしね。

エッセイが好きです。

なんていうか、ネットやSNSの普及に伴って「別にいいじゃん。そうしないと残れない時代だよ」って言う方向に向かっているのかもしれないんですけれど、エンタメとして凄く純度が高い話のはずが、それがマスによってどんどんと拡散され、どんどんと薄められて価値が下がっているような気がするんですよね。

実際に、佐久間宣行さんはそのままだと管理職になって現場に立てなくなるのは事実なのでフリーになったのは「確かに!」とは思うんですけれど、テレビマンとして後輩の育成を怠った感は否めません。

例えば、伝説のローカル番組”水曜どうでしょう”のディレクターの藤村さんと嬉野さんは社内に特別な立場を作り自由に出来る様に動いているんです。もちろん部下は育成してないです。それは藤村さんが「自分たちはいつまでも面白い」と思ってるからという驕りもあるのでは?と思っております。
だが、そこには水曜どうでしょうの盟友、鈴井貴之と大泉洋は居ないんです。これも裏方が表に出てきてしまった例です。そもそも”水曜どうでしょう”は裏方の声は聞こえるけれど顔は見えないってのが良かったんです。

どうでしょうの製作陣、ちょっと調子に乗りすぎでは?

うまく表現できないもどかしさがあります。

なんだろう、例えば作家オークラさんを主人公にした東京コント界の物語の映画をオークラさんが作りたいって言う話をバナナマンのラジオでたまに話すんですけれど(バナナマンのラジオの作家はオークラさん)、”作品を出す前にメイキングをだしちゃう”ってかそんなイメージを感じちゃうんですよ。

終わりに

別に佐久間さんは芸人の批評をしてる訳ではないのですけど、なんていうか、例えばオークラさんとバナナマンがバナナマンの歴史を話すのとオークラさんと佐久間さんがバナナマンの話をするってのはなんか違うんだよなぁ〜って思うんです。

演者と作家だから良いけど、作家とエンタメオタク(プロデューサーですが…)との会話はなんか違うんじゃないかなって?

なんて言うんだろう?佐久間さんってお笑いの世界の”吉田豪”さんみたいになってるんじゃないかな?って。

本人がそれを望んでいるなら良いのかもしれませんが、テレビクリエイターとしては、あんまり手の内は見せない方が良い…と思うんですよね。

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