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(やっぱり)天才になりたい

さて、2022年が始まった。
2021年は色々とありすぎて、毎月毎に何があったか記録していたのだけれども、重すぎるし書いてもしょうがないと言うことで自分の胸にうちに潜めておくことにした。おそらく人生生きてきた中でこんなにも精神の起伏が激しかった年は2021年が初めてではなかろうか?

さて、そんな過去を振り返る気はない。2022年は始まってしまったのだから。
ちなみに2021年は18時頃にすでに眠っており、2022年は朝の4時くらいから始まった。

まだそんなに人で賑わう前に近くの神社で初詣を行った。何を願ったのかはあんまり覚えていない。「とりあえず生きていれば良い」そんな事を願ったはずだ。おみくじは中吉。この結果がどうなるかはまだまだわからない。

さて、僕は今年で47歳と言う年齢になる年である。47歳というと僕が尊敬してやまないミュージシャン・上田現さんが亡くなった歳にあたる。
僕は何か躓く毎に、「現ちゃんよりは生きてみせる。それから考える」と思っていた。その年齢になるわけである。

人間、上田現が生前に見れなかった人生をこれからおくることになる。
我ながら、よくここまで生き延びたと言いたい。何せ心が弱い人間なのだから。

…天才になりたい。2022年1月1日に思った。
僕は行って秀才止まりだ。かといって人一倍努力したわけではない。ただただ高校時代から勉強する事に苦がなかっただけである。

Nigaoe leonardo da vinci

去年、同期と一緒に仕事をする事があった。僕はその中で全然結果を出せず自己嫌悪に陥る毎日を送っていたわけだが、その同期と飲んだ際「お前は新人時代からメインストリームを走っていたからな」と言われた。

僕は流されるばかりだったが、流され方には運があったし自分の仕事の仕方があっていたのかもしれない。
新人時代から、そんな感じだった。

あれから四半世紀が過ぎた。
僕は今更ながら生きてきて”何も産み出せていない”と思う事がある。
青春時代に誰もが患う「僕たちは何者かになれる」って奴だ。

結局は、大多数の人間は何者にもなれぬまま生活をしていく。でもそれが悪いこととは決して思わない。結婚して、子供を授かり、家庭を築く。それだけで人生大成功である。

その中で、僕は何者にもなれないどころか、何も後世に残していない。
「何者かになりたい」
そんな気持ちがよぎった。

やっぱり”天才”になって何かを残したいのである。
「あいつが何を考えてるかわからんが、あいつが言うんだからきっと面白いんだろう」と人を惹きつけたいのである。

去年は色々とあったけれども曲も作ったし映像作品も拙いながらも作った。
あんなに色々とあった去年でも何か発信できたのだ。

クリエイターは発信はできる。ただ、それがみんなに伝わるか?それが実に難しい。
本当の”天才”なら、何らかの形で人に伝わるのだろう。「天賦の才」ってのがあるとすれば何らかの形で伝わるのだろうと思っている。

時代は僕が子供の頃からは大きく変わり、ネット全盛の時代。メタバースという人と直接会わなくても良い時代になっている。コロナ禍と言う情勢も相まって人間関係はどんどんと希薄化している。

ーそれでも人が好きだよ、そしてあなたを愛してるー

僕はすでに古い人間である。それは自覚している。でも、それでも踠き何かを残していきたい。2022年、そう思った元旦である。

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