カイジのスピンオフの漫画『ハンチョウ』で麻雀目的で集まったけど結局それぞれが自分がやりたい事(YouTubeを見る、ゲームをする、漫画を読む……)を同じ部屋でバラバラするけれど別に麻雀をしないからと言って仲が悪くなる訳では無い。ただただ無性に居心地が良い時が流れる空間。みたいなエピソードの回があります。
参考)ガラパゴス飲み
これを読んでて僕は高校時代の友人の家や僕の部屋を思い出しました。なんか懐かしいなー、と。
高校時代の後半、僕の部屋がまさにそういう空間になってたんですよ。みんなで目的を持って遊ぶ訳では無いんです。ただ、学校の帰りに僕の部屋に寄って一緒の場所にいるだけ。
僕の家にはコタツを利用した麻雀卓やパソコン、そして漫画や小説がありました。親は働いているため家には僕しかいないのでタバコも飲酒もOKだった訳です。
感覚的には学生時代の部活やシェアハウスのようなものなのかも知れませんね。
これらがモラトリアムを構成する為の大事なワンピースなのだろうな……と思います。学生時代はガクチカも大事ですがモラトリアムの大半ってこんな生産性の無い時間を共有できるというものも大きいと思います。下積み時代の“お金は無いけど時間だけは無限にあった“パターンですね。
この関係性で喧嘩が起こる事は無かったですし、生産性はない行動の中でも変に化学変化が起こって面白いことが思い浮かんだような気がします。
本棚にはこち亀と横山光輝さんの三国志がメインで並んでるけど漫画だけではなくさくらももこさんのエッセイや萩原朔太郎さんの『月に吠える』とかも並んでいました。三国志は60巻の大作なのでハマると数日は潰れる感じでした。
パソコンもゲームを遊ぶ半分、作る半分くらいの感じで「ゲーム作ってみたから遊んでみてー」みたいな事もやっていた気がします。別に『ひと山当てよう!』と言う気持ちもなく純粋に物を作って遊ぶという感じ。
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時は流れて
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この前、休みの日のお昼に同期と僕の部屋で部屋飲みしたんですよ。簡単な料理を僕が自炊してそれをアテにお酒を飲む、と。実にリーズナブルな飲み会。
その同期は奥さん的な人を連れてきたんですけど同期は今ハマってるゴルフの番組に夢中。その女性はゴルフに興味が無いので僕の部屋にある漫画を一気読みしていました。
僕は調理とかギター弾いたりとか……と、まさにガラパゴス飲みを実践していました。誰も不快にならない飲み方。「ゴルフ見ろよ!」とか「この漫画のここ面白くない?」とか「俺のギターを集中して聴け!」とかが全くない時間。
でも不思議と『部屋飲みしたわー』という一体感はある。そんな不思議な飲み会です。
ある意味で理想系!
僕が思うに『ガラパゴス飲み』は居酒屋とかの飲み屋では出来なくて誰かの部屋(多趣味な人の部屋が良い)に集まってダラダラ過ごすのがポイントなんだろうな、と。僕はお酒を飲むのでどうしても『飲み』になってしまいますが別にお酒飲めなくてもOK。飲みたい人は飲む、食べたい人は食べる、もっと行くと寝たい人は寝る。位の感覚。主体性も生産性もゼロ。
でも僕はこういう飲み会がとても好きだったりします。勿論何かに対して一体感を持って遊んだり飲んだりする事も大事ですがこの歳になるとそんなに『何か』がポンポンと出てくるわけでも無いです。でもなにかイベントが無いと集まる理由がないとなると本当に年に数回になってしまう。
そう言うときに付かず離れずの関係を維持するためにも『ガラパゴス飲み』はいいかもしれませんよ。
僕は一人暮らしなので部屋の掃除のきっかけにもなります。
「なーんか最近、友達と遊んでないなぁ。でもきっかけとか思いつかない」みたいな時は「今度の休みに俺の部屋で昼飲みしない?」と持ちかけて見るのも良いかもしれませんよ!