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謝罪について、僕なりの考え-NGT48問題と脱社畜サロン問題を例に-

はじめに

自分が過ちを起こしたら謝りますよね。家でも学校でも会社でもそうです。

ただ、最近その謝る=謝罪の文化がちょっと変わって、変な方向になっているのではないかな?って思うんですよ。

NGT48問題とワイドナショー問題

最近では、NGT48のメンバーが男性に襲われたのに、勇気をもって舞台に立って”謝罪”したと言う事件がありましたね。なぜ、被害者が謝罪するのか?と言う問題もありますが、あくまでも「ファンに対する謝罪(ご迷惑をかけてもうしわけない)」と言う面では「そうしないといけないのか…」と言う感じもします。

さて、その事件に関して、ワイドナショーと言う番組で、松本人志さんが、指原さんに対して笑いを取ろうとしたのか、性的な発言をしたと言う事があり、ネット上では松本さんに謝罪を求める動きがあるそうです。

松本さんはテレビ(芸能界)で発言力がある人なので、不快に思った人に対して謝罪をするかもしれません。
でも、その先に何があるのでしょうか?

Syazai kaiken

不適切な発言はニュースなどでアナウンサーやコメンテーターが言うケースが多いですね。で、仮にですよ、謝罪をしたら、もしかしたら「謝って済むと思ってるのか!」と言う発想にならないか?が怖いんですよね。

ネット、SNSのコモディティー化により、誰もが発言できる時代です。家でPCに向かってではなくても、電話をかけなくても、移動中やヒマな時にスマホでぴっと出来る時代。

お祭りのような感覚(実際、ネット炎上は祭りと呼ばれていました)で、やれ「スポンサーに電凸だ!」とか「番組降板だ!」って言う「行き過ぎた行動」にでてませんか?またそのような発想に陥ってませんか?

刑事罰など、事件性がはっきりしているものは確かにそういう行動に出るべきですが(と言うか逮捕されるので謝罪もなにもないかもしれませんが)、「失言」に対してとどのつまり、「何をすれば許してもらえるのか?」と言う点が昔と変わってきている気がするんですよね。

僕も、サービスに納得がいかずにクレームに近い電話をした事があります。電話先のオペレーターはあくまでも電話に出ただけなので、責任者に変わってもらい謝罪を要求したんですけれど、この件もとどのつまり「じゃあ、どうすれば納得してもらえるのか?」って言う点が明確ではありません。
謝罪してもらったところで僕の怒りが収まる訳ではないですし、じゃあ100万円分の精神的被害を受けたから100万円払えと言えば恐喝です。

クレームは何も生み出さないなと思ったエントリーはこちら。
クレームは何も生み出さない

脱社畜サロン問題

さて、ネットの世界では「脱社畜サロン」問題と言うのがあり、これまた炎上ブロガーのイケダハヤト(自称インフルエンサー)さんが、独自の「謝罪」についてYoutubeで述べておりました。

彼の主張は、
・自分に否が無いのに謝る必要はない
・時間が立てば結局みんな忘れる(鎮火する)
と言うもので、この点に関しては「たしかになぁ」と思っておりました。

ただ、その次に
「こういう時、”オトナ”(あえて片仮名らしい)が出てきて『とりあえず謝りなよ。そうすれば納まるから』と言い寄ってくる。自分に否は無いのにとりあえず謝るって言うのが昭和的でかっこ悪い」的な事を言っておりました。

この点に関して、僕は「?」って思ったんですよね。

今回の「脱社畜サロン」問題はブロガー界の中ではある程度有名になっており、イケダハヤトさんが、ウソをついている友人(この場合のウソはプロフィール詐称(盛りすぎ))に対して「この人は1mmも悪くない。間違ったことを言ってない」と(勝手に)擁護したんですよね。

で、「(その友人は)嘘をついているじゃないか!」と言う突っ込みに対して、「この件に対して僕が謝る必要はない」と言い張ったんですよね。

この場合、「嘘と思われる書き方をしていたようなので、直すように指摘しました」と言う対応をすれば今回のような問題にならなかったよ。と言う「”オトナ”の意見」に対して、彼のプロフィールは1mmも間違ってない。オトナが落としどころを作ってくれたけれど、それに従うのはカッコ悪い。ロックじゃない!
と言うへんてこりんな方向に向かったんですよね。

いや、イケダハヤトさんは厳密には(このケースでは)嘘をついてないんですよ。ただ、ウソをついている(と誤解されるような書き込みをした)友人に対して、「この人は間違ってない」と言っただけです。

ここらへんから、「彼は謝ったら死ぬ病気」なんじゃないか?(半島の南の方の方々もそう呼ばれる傾向があります)みたいになってるんですよね。

今回の件も謝罪ではなくて「友人のプロフィールに誤解を招く誇張があったので修正するように言いました」で済んだんですよ。「ごめんなさい」じゃない。謝罪ではなくて訂正です。

で、イケダハヤトさんの場合、さらに助言をしてくれた”オトナ”をアンチ扱いするんですよね。

仮にも自分でインフルエンサーを名乗る位の影響力がある人なら、自重(謝るっていみじゃないですよ)すべき事項もあると思うんですけれどね。

炎上ブロガー(今は、Youtuberか)で、ツイッターのフォロワーが20万人近くいるので「お門違いな指摘」や「罵詈雑言」が多いと思います。
それらが多すぎるので、やや感覚がマヒしてしまったのかはわかりませんが、第三者が見ても「これはイケダハヤトさんの方がおかしいのでは?」と言う意見もあります。でも、そういう人の意見も精査せずにマッハでブロックしちゃうので、感覚がおかしくなっているのかもしれませんね。

おわりに

謝罪と訂正は厳密には違います。
「1+1 = 3」だった場合、「違った2だ」と言うのが訂正。「計算間違ってごめんなさい」と言うのが謝罪です。

よく、テレビや新聞などで「おわびと訂正」とあるのは、「1 + 1 = 3と言う情報を流し皆様を混乱させてしまいました。ただしくは”2″です。申し訳ありませんでした」と言う奴ですね。

“謝れ!”と言われて自分に否が無いのに謝るのは理不尽ですが、明らかに誤りがある場合は謝らなくても訂正はすべきだと思うんですよね。

ネットの世界や、テレビ、週刊誌などは有象無象な情報も含まれており(調査不足なども含む)、何が正しいのかが分からない時代になっていると思います。

まずは、何が正しいのか?その場合、どうするべきなのか?ファクト(事実)を明確にしてから対応するのが、これからの時代大切になってくると思いますよ。

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