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Youtubeで自分で【神回】って付けるのが嫌いです。

Youtubeとかの動画でたまにサムネイルとかタイトルに【神回】ってついている動画があります。
例えば、過去のラジオとかの違法アップロードで上がっている本当に伝説回とか神回とかは(違法かどうかは置いておいて)わかるんですよ。
深夜ラジオなんて本当に何十年もやっていると何回か跳ねたりしますからね。「もう聞けないあの伝説の回!」みたいな感じと言うか、例えばいいともグランドフィナーレでレジェンドが集まって一つの画面に収まったのは間違いなく伝説であり、神回だと思ってます。

でも、YouTubeの自分の動画に自分で【神回】ってつけているのを見ると、「さぶっ……!」って思っちゃうんですよね。
キンコン西野さんとかオリラジ中田さんとかタイトルで「伝説の」とかつく動画もそうですね。

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例えば5日で再生回数38万回再生の動画を【超絶神回】と言ってしまうのは……。

例えばスティーブジョブスさんの初代iPhoneのプレゼンや大学でのスピーチが【伝説】って呼ばれるのはわかるし好きなんです。

何が違うのか?
考えてみました。

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ジョブズさんの動画は別に神回とかついてないです。

簡単に言うとジョブズは自分で「伝説」とか言ってないんですよね。
それを聞いた・見た人が何年後にもなって「やっぱりあの時のジョブズは凄かったな」と評価してそれが共感され神回、伝説になると思うんです。

個人的には後に語り継がれるものが伝説だとおもってて現在進行形とか数ヶ月前のスピーチに伝説とか神回とかついてるのがおかしいのでは?って意見です。

神回とか伝説回ってのは、自分でつけるものではないと思うんですよね。リスナー・視聴者と言う第三者の感想の総意でそう言う名前がつくのが正しいと思ってしまうんです。

いきなりですが、筋肉少女帯と言うバンドの歌詞に以下のようなものがあります。

狂えばカリスマか!?
吠えれば天才か!?
死んだら神様か!?
何もしなけりゃ生き仏か!?
ー 筋肉少女帯「モーレツア太郎」

これって結構的を射てる感じがするんです。
この歌詞の中には「伝説」って言う言葉は出てきませんが僕の中ではこの感覚が1番しっくりきますね。

結局、故人とか現在進行形では無いものに対して第三者が広めた結果、伝説になるのでは?って思うんです。

いや、勿論生きていても良いのですけれどすぐに「こりゃ神回決定だな!」って言うのは違うんじゃ無いかな…と。もちろん「手応えあったな!」とか「タイミングも相まってなんかすごく良い感じになったな!」って言う実感は良いんですよ。

あと、スパンが早過ぎると思います。なんて言うんでしょうか?「【神回】の安売り」とでも言えば良いのでしょうか?
そう言うのって10年に1回あるか無いか位だから【伝説】とか【神回】って言う言葉の重みがつくと思うんです。

動画をアップした翌日に「神回!」ってつくのはちょっと違うんじゃないかな?ましてや自分で神回とつけちゃうのは違うよな、って。

って自分で「なんでこんな事書いているんだろ?」と思ったんですけれど共感性羞恥心みたいなものを感じてしまったからなのかもな?と思ったりしました。

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こう言うのが恥ずかしいです……

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