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「ご冥福」は祈ってはいけない

最近、千代の富士関が亡くなりました。今年(2016年)は大物がどんどん無くなり、昭和と言う時代が本当に終わっていっているのだなぁ。と感じる事が多くなっています。

そんな時、テレビでは「ご冥福をお祈りします」とほぼ必ず言うのですが、その度に僕の友人が「ご冥福は祈ってはいけない!」と強く言っていたのを思い出します。

ちょっと時間があったので調べてみました。

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どうも、「冥福」というのは、「冥土・冥途」で幸福になる意味なのですが、仏教には冥土と言うものが存在しないようなのです。浄土真宗では亡くなった途端に幸せになれるので、そもそも祈る必要はないし、仏様の約束を疑うような言動との事になり、失礼にあたるそうです。また同様に一部のキリスト教も失礼にあたるそうです。(死んだと同時に天国に行くため、その途中の旅路を祈るのは意味がない。)

ようは、死んだと同時に仏になる人、死んだと同時に天国行き決定な人に対して、「死んだら、幸せになれるんですよね、天国行けるんですよね?幸せになれるんすよね!?マジっすよね、仏様!」って念を押して(祈る)いるようなものみたいです。

浄土真宗、キリスト教などを含み、どのような宗教においても無難で問題のない言葉は「心より追悼の意を表します」が正しいそうです。
是非、もしそういうのに細かい人がいたら、その故人の心象を失わないように、妥当(と言う表現もなんですが)で、故人の親族の心を痛めないようにしたほうがいいと思います。

まぁ、一番正しいのは、亡くなった方の宗派を調べて、最も適切な言葉て追悼するのが良いのだと思うのでした。

結局、僕は死んだら「無」だと思っているんですよね。物理学的に。死んでからも脳は数分間動くので、その時間に夢を見ているのが天国なのではないのかと。「無」って言うのがどういうのかを考えると眠れなくなってしまう(子供の頃、よく考えてました。)ので、考えすぎには気をつけましょう。

では。

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