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運の量は皆一緒では無い。

バナナマン設楽さんがラジオで言っていた言葉をふと思い出しました。

「運の量はみんな一緒とか言うけれど、違うんだよ、きっと。」

そんな感じの事を言っていたような気がします。

またバナナマンの舞台(ライブ)の演目でも

『運の量は平等じゃない。ナイ人はずっとナイし、ある人はずっとあるって事もある。そういった意味では人生って不平等』

と言い切っております。

これが設楽さんの人生哲学なんだと思います。

実は僕もそれにすごい共感してしまうんですよね。そうでなきゃ世の中やりきれないことが多すぎる思うんです。

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小学生のうちに事故で亡くなってしまうとか、かと思えば、何回も刑務所に入りながら暴飲暴食して90歳くらいまで生きて大往生で亡くなる人もいる。

運の量が一緒だとどうしてもこれが説明できないんですよね。

多分、ギャンブルで勝てる人は勝てると思いますし、勝てない人は結局勝てないんだと思います。
よく、ギャンブルで勝ちまくっている人に対して、「そろそろしっぺ返しがくるぞ」と言うような事を言う人がいると思いますが、僕は、運に乗っている時はそれを最大限に活用すべきだと思います。

ある程度の努力でその運は別の形でカバーできるかもしれません。仕事を頑張る事である程度人生上手く回せるかもしれません。ほとんどの人がそうやって生きています。
そこまで博打的な人生を送っている人はほとんどいないと思うので。

でも、人間の絶対的な運ってもっと違うところで発揮されるんでしょうね。

そもそも、運を数値化する事も難しいですよね。金額と言う意味では数値化できるかもしれませんが、意中の人から逆に告白されて結婚できた。とか、地面を掘ったら温泉が出た!なんてのも運ですからね。

また、これを読んでいる人(読めている人)は、日本に生まれただけでラッキーと思わなければいけません。食料に困らず水が飲め、夜中に一人で歩いても襲われない日本に生まれただけでボーナスステージです。

それにしても、自分の運の量が見えて、その運を分ける事が出来るなら…自分の人生を捨ててでも若い未来ある子供達を救いたいって気持ちはありますね。

人生楽しい事も辛い事も沢山あると思うんです。それを運で乗り切る場面もあるかもしれませんし、結果的に辛い生活になってしまうかもしれない。

でも、生きているじゃないですか。それだけで運があるんです。

雪崩で亡くなった高校生や、殺されてしまった少女など、昨今のニュースを見ていて、いたたまれなくなってしまいこんな事を思ってしまいました。

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