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レッキング・クルー

日本のバンド全盛の時代、一部のミュージシャンは技術よりルックスで売り出す事も少なくなったと言います。
でも、CDを聞くと上手く弾けている。そう言うミュージシャンをスタジオミュージシャン、俗に”トラ”と呼ばれていたそうです。語源を辿ると”エキストラ”の”トラ”なのですが、プロのスタジオミュージシャンも多かったみたいです。

しかし、残念ながら、スタジオミュージシャンはスタッフクレジットに名前を記録されることは無かった模様。

90年代、バンドブームからJ-POPへ移行した時にバー○ング系のミュージシャンが湯水のように大量発生しました。彼らは2人組だったり3人組だったり。
でも、レコーディングは、スタジオミュージシャンが参加しているんですよね。ドラムとかシンセサイザーとか。

有名は話ではTMネットワークのバックミュージシャンとして活躍していたのがB’zの松本さんですね。松本さんはバー○ング系のスタジオミュージシャンの腕が買われて無事に表舞台へと立ち、一気に日本を代表するギタリストとなりました。

さて、1960年代から70年代にかけて、アメリカ西海岸で同じような動きがあったのをご存知でしょうか?

完全無欠のプロ集団、伝説のスタジオミュージシャン達。

フランク・シナトラ、エルヴィス、ビーチ・ボーイズ、サイモン&ガーファンクルetc,etc…

名だたるミュージシャンの演奏には伝説のスタジオミュージシャン達=通称レッキング・クルー(Wrecking Crew)がいたと言われています。

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あの有名な、モンキーズのデイドリーム・ビリーバーも大半の演奏はレッキング・クルーだったと言われています。まぁ、モンキーズはSMAPみたいにミュージシャンというよりもアイドルですが。

なぜ、レッキング・クルーが生まれたのでしょうか?それはフィル・スペクターと言う名プロデューサーの存在にあります。彼の頭の中でなっている音楽を実際に音にするために、フィルは色々な注文をミュージシャン達につけていきます。
勿論、途中で喧嘩別れして離れて行ったミュージシャンも多いでしょう。でも、職人として残った、いわば選抜メンバーがいたのです。それをレッキング・クルーと言います。

もともと、レッキング・クルーのメンバーはジャズミュージシャンが多く、商用のポップミュージックを軽視していたとも言われています。だから、レッキング・クルー(解体屋、もしくは落ちぶれ集団)と呼ばれています。ポップに自分の名前を残す意味を見出さない代わりに、自分たちが完璧な音楽を演奏していたのかもしれませんね。

僕たちの仕事も表舞台に立つ事は無いですし、別にこの仕事で表舞台に立ちたいとも思いません。
けど、仕事に関しては完璧なプロ集団を組みたいなと思ってます。こればっかりは1人では出来ないので…

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