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謝る事と譲れない事

安いプライドなんて捨ててしまえ。

なんて、J-POPの歌詞みたいな書き出しで始まりました。どうも。

いやね、最近「悪くもないのに謝るのはカッコ悪い。昭和的感覚。ロックじゃない」とか「謝罪しろ!」とかネットでも現実のニュースでも色々とありましてね。

僕も社会人をしているから頭を下げる場面もある訳ですよ。僕個人と言うか会社としてだったりもしますけれどね。「とにかくお前が謝れば、この場は収まるから」的な奴ね。僕、この意見にはある意味賛成なんですよ。自分の利害関係に影響がなくて、この場が収まるのなら謝るよ。プライトとか言ってるヒマないんですよ。僕が謝った事で給料が下がる訳でも評価や査定が下がる訳ではありません。ちょいと頭を下げる動作をするだけでその場が収まればそれはOKだと思うんですよね。これはサラリーマンとしての意見。

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でもね、それはさ、絶対に譲れない自分の”軸”がしっかりないとダメだと思うんですよ。その軸はブレちゃいけない自分の領域ですね。その軸がない人が、サラリーマンとしてだけではなく、日常生活もペコペコ頭を下げるのはカッコ悪いと思うんです。その位、自分の”軸”って言うのは大事だと思っています。

その軸は、音楽性だったり、家族だったり、恋愛だったり、仕事だったり、貯金残高だったり、それは人それぞれだと思う。でも、いい。

そう言う時代だから。

どんな事でも謝らないって言うのは凄い疲れると思うし「そこまで自分全部を守りたい?」って思っちゃうんですよね。

例えば僕はプログラムのアルゴリズムには絶対の軸を持っている。正しい動きをするためのアルゴリズムはどれだけでも議論する。喧嘩になるかもしれないけれど納得がいくまで戦う。
でも、それ以外のほとんどの仕事はサラリーを貰うための手段でしかない。サラリーを貰うのは楽しい生活を送ると言う目的があるからだ。目的と手段を間違えてはいけないとは良く言うだろう。

だから、くだらない事で俺が頭を下げれば進むのなら下げる。そんな事にパワーやリソースを使いたくない。頭を下げて次のアクションを起こせば良いだけだ。

バンドが「音楽性の違い」を理由に解散するのは、本当はただ仲が悪いとかお金の取り分とか見たくない部分が実体かもしれないけれど、自分の”軸”を曲げてまで、やりたくない音楽をするのはカッコ悪いんだろう、と思いたい。
でもサラリーマン的な商業音楽(今はこういう音楽が流行っているから、こういう音楽をやろう)って言うのはきっと解散しないんだろう。

「年下の上司に敬語を使うのは自分のプライドが許さない!」なーんてプライドは捨てた方が人生楽ですよ。言われる側も「いやいや、僕に敬語使わないでくださいよ」って思ってると思いますしね。良いタイミングで敬語を辞めても良いわけです。合意の元でね。

年下のお客様にだって敬語は使わないといけないんだから。
「年上、年下」より「自分より能力の高い人、低い人」って考えた方が良いと思うし、そういうリスペクトも大事だと思うよ。

謝る、頭を下げる、敬語を使う。
こう言うことが「自分は悪くないのに、年上なのに」と言う理由でためらっているのなら、そのためらいを捨てて他の方向にリソースを割いた方が良いと思うんですよね。

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皆さんはどうですか?

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