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中学生時代に通った塾の思い出

中学校の時に塾に通っていた記憶がある。どの位の期間を通っていたのかは今となっては定かではないけれど、確実に通ってはいた。
なぜ塾に通ったかと言うと実は今では覚えてない。
自分から行きたいと言ったのか、成績表に見かねて親から勧められたのか?一切思い出せない。

ただ、いくつかの塾の時代のエピソードは残っているので書いてみる事にする。

英語のテストがあった。日本語を英語に訳すと言うもので単語レベルであった。その中に「パンを英語でなんと言うか?」と言う問題があった。
ちなみに答えはBreadだ。パン自体英語っぽいけれど、問題文から考えるにそれはない。
ある奴が言った「発音では覚えててスペルがわかりません!カタカナでも良いですか?」先生は言った。「部分点をあげるから書きなさい」と。

彼が書いた答えは「トースト」であった。それは焼くと言う意味だ。彼の家では「パンできたよー」と言われればトーストが出てきたのだろう。容易に想像がついた。
みんな爆笑した。面白い奴だった。

ちなみにパンはポルトガル語らしい。
タバコ(tobacco)もポルトガル語。英語ではシガレット(cigarette)である。覚えておくと損はないが厳密には色々と定義が面倒なので、ウンチクにうるさい人の前では話さない方が良いと思う。

Juku1

塾は1コマは確か90分だったと記憶する。夏休みや冬休みの長期休暇は5分位の休憩は挟むが基本的に連続で授業をしていたのでトイレに行くのを我慢していて勉強が頭にはいらなかった記憶がある。大変だった。脂汗かきながら尿意と戦っているのだ。勉強なんて頭に入る訳が無い。

ちなみに、僕は会社員(エンジニア)になって「好きな時間にトイレに行ける!」と言う事がすごい嬉しかった。

また、暴力的な先生もいた時代と言えばそれまでだが。別室に連れて行かれ、机を殴る音がしてた。生徒たちはみんな怖がっていたが、噂では別室では音を鳴らすだけで実際に暴力は働いていなかったらしい。
確かに誰も怪我はしていなかった思い出がある。

高校時代に、タバコを持ってきたのがバレた生徒は鼻血が出るまで殴られてたからなぁ。

中学生だったけれど、独学で”簡単な演算法”と隣の席のM君と求めていた時代もあった。今思えばあれは微分に近いものだったと思う。あの時に自分にもっと数学に対する好奇心があれば今頃僕は数学者になっていたのかもしれない。そう言えばM君元気かなぁ?

我が家は貧乏だった。それでも塾に通わせてくれた母親(離婚しているので)には感謝しかない。それで工業高校の一番頭が良い科に入れたんだ。ちなみに早く自分で稼ぎたかったので進学校ってのは考えてなかった。

今の自分の学力があるのは辿っていけば中学生の頃の塾だったのかもしれない。

最近、勉強が嫌いな(先生の言う通りに勉強する同級生がロボットに見えた)少年革命家ゆたぼん君を全然見ない。
学校には行っているのだろうか?彼は「死んだらあかん、人生は冒険や!」がテーマフレーズであるが、いじめや心因的に学校に行けない限りは勉強はした方が良い。
誰かの指示に従って生きることをロボットだと思うのであれば、君は一生生活できない。君の好きな西野君だって、よしもとで給料をもらうためにマネージャーから指示を受けているんだよ。TVだって、ディレクター・プロデューサーの指示に基づいて演者は動く。

勉強しているとそう言うこともわかるよ。

話が横道に逸れだしたので、今回はここまで。

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