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嫉妬心

僕は性格上、ほとんどの事に嫉妬はしない。自分より髪がフサフサでも、身長が高くてもお金を持ってても別段気にしない。「いいですね」って感想がわくくらいだ。
ちなみに学歴に対してもコンプレックスはほとんどない。”ほとんど”と書いたのは学卒と高卒で給与体系が変わっているからだ。早く実力主義・成果主義に変わってもらいたいものである。

ただ、そんな僕にも嫉妬の心はある。それは「面白い文章」を書く人だ。楽器は好きだけれど僕にはそんなに音楽テクニックはない。しかし文章はセンスと知識でなんとかなる世界。僕はエッセイを読むのが好きだが、やはりそう言う人には知性を感じてしまう。特に面白ければ面白いエッセイほど好きだ。

先日、ふとしたきっかけから新宿で飲むことになった。週末から不要不急の外出を禁止される前日の金曜日。家を出る時間が遅れたのでマスクをしてくるのを忘れたが、個人的にはどうでも良い事だ。

新宿に着いて、とりあえず飲み屋に入って飲んだ。一人は今日僕を誘ってくれた人。もう一人はある意味「令和の無頼派」とでも呼べるような若者である。初対面であったが物腰は低く、話し方も非常に落ち着いていたが、出てくるエピソードはとんでもないようなものだった。

僕は彼の書く文章を事前に読んでいた。その文章の構成、時々折り込まれるエッセンス、情景が浮かぶ描写。どれをとっても僕には敵わない。

そう、僕は嫉妬したのだ。

お酒を飲みながらどんな本を読んできたのか?なんて言う話もしていた。やはり過去の文豪の作品は読んでいた。僕なんて全然読んでない。ただ、最初に彼から出てきたのは「さくらももこですね」と言うものだった。
さくらももこのエッセイは面白い。僕も高校生の頃に読んでいた。それから僕は原田宗典にであい、エッセイの世界へとのめり込む訳だが、彼はその後も文学を読んでいた。

スタート地点は僕も彼も”さくらももこ”だったのかもしれない。しかし、僕は一介のサラリーマンに落ち着き、彼は今もなお破天荒なアウトローな生活を送っている。

あるところに双子がいて、片方は過大な愛情を注ぎ込まれて純粋培養で過保護に育てたれた。もう片方は貧乏な伯父の家に居候させられてその日の食べものにも苦労しながら育てられた。
20年後、20歳になった双子のどちらと話したいだろう?どちらが壮絶な人生を送っているだろうか?…答えは簡単である。

僕だってサラリーマンとしていろいろな経験をしてきた。連日の徹夜、大トラブルなど話題には事欠かない方だと思っていたが、所詮は社会と言う枠の中での出来事だ。日本という国の社会はある意味守られている。秩序があるのだ。
ピストルを向けられた経験が2回もある彼には到底敵わない。1000万円単位のお金を1夜のギャンブルで失う経験もない。

その後、ゴールデン街に移動したあと、申し訳なく思いながら稚拙な僕の文章を読んでもらった。流し読みではなくて、しっかりと読んでくれた。その後「面白いっすね」と言ってくれた。

でも、僕にはわかる。彼にとって僕の文章は本屋で手にとってパラパラめくって本棚に戻す雑多な本の1冊でしかないのだ。

悔しい。これが嫉妬心か。
彼の方から「あのエッセイ面白かったですよ」と言わせるような文章を書きたい。

だから、今日も書く。それしかないのだ。

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