バナナムーンGOLDを聞いてたら『しゃけ弁』と言うキーワードが出てきた。
それを聴きながら「そう言えば最近、しゃけ弁って食べてないなぁ」と。
魚は好きだけど弁当は唐揚げ弁当とのり弁がメイン最近となってしまってい、メッキリとしゃけ弁を食べてないない。
さらに今の街のお弁当屋さんは和洋折衷でメニューが多彩になっているので、さらに選択肢からは外れまくっている。
確か、大東京ビンボー生活マニュアルという昔のマンガで「のり弁当は”のり”だけではなく白身フライなどのプラス要素があってお得感があるけれど、しゃけ弁当は”しゃけ”がメインなのである意味期待を超えない」みたいな事が書いてあった。当時、それを読んで「なるほどな」と思ったものだ。

僕自身、北海道出身なので子供の頃の朝食には本当にしょっぱい鮭が食卓に出てきたのを思い出す。”塩しゃけ”と呼んでいたはずだ。美味しいけれどしょっぱすぎて唇の横が切れた思い出がある。明らかな塩分過多。
そう考えると究極のしゃけ弁はシンプルかつ目的を伴った”ぼだっこ”弁当だろう。塩の固まりのような鮭(非常に小さな一片)と白米。血圧上昇が確定している弁当。

ぼだっこ弁当
最近多くなってきている少し高い弁当での銀しゃけ弁当とかとはちょっと違う、ちょっとチープな感じのしゃけ弁って今はどんな感じなんだろうか?

こういうのではなくて
……少し想像してみた(思い出してみた)が、ご飯はプレーンのはず。ここに海苔が乗っていたら『のり弁』だ。あとはしゃけが一切れ。残るはきんぴらごぼうと卵焼き、そしておざなりのお新香か。
そう考えると、謎の白身フライとちくわの磯辺揚げが付いている『のり弁』のほうが俄然豪華に見えてくる。
しかし時代背景を考えると当時の弁当は「安かろう悪かろう」だった。焼き鮭をメインに置くことは原価的に大きかったのかもしれない。
吉野家が牛丼以外の定食を提供し始めた時も『牛鮭定食』だったはずだ。今でもたまに食べるが高価な食べ物になってしまった。
もしかしたら、「しゃけ弁はステータス」の時代があったのかも知れない。「どうせお前はのり弁だろ?俺はリッチにしゃけ弁だ」みたいなヒエラルキーがあった可能性もある。
そんな事を考えていたら、なんか無性に食べたくなってきた。オリジン弁当よりもほっともっとの奴が食べたい。が、ほっともっとは自宅と川崎の中間辺りの非常に中途半端な場所にある。が、その不便さを食べたさが上回るのか?川崎駅内にはちゃんとした焼き魚弁当を売っている店もあるのに。
もしかしたら僕は美食漫画で言うところの「これだよ!これ!今思うと決して美味しいとは言えない。でも、当時の原動力はこれだったんだよ!」と言うエピソードの年齢になっているのかもしれない。
思い出は思い出のままが一番素敵なんだよな。……なんて何百年前からの詩人、作家が使い古した表現の意味をしゃけ弁で知ることになるとは。
若いことは素晴らしいけど、歳をとるのも悪くないな、そんな事を弁当が思い出させてくれた。

ほっともっとのページを見たらのり弁としゃけ弁が合体していた。

