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福島で仕事していた時の思い出

19歳〜21歳くらいの期間、福島で仕事をしていました。僕たちの会社では”常駐”と言って、お客様の会社の中で仕事をする事があります。転勤では無いんですよ。会社が現地の家賃を払ってくれるので、あくまでも自分の家(当時は寮でしたが)は関東(当時は神奈川)にありました。

で、福島の仕事は忙しかったです。大体毎日9時から24時位まで仕事してました。でそこから2時まで飲んで帰るって言う生活でした。若かったから身体もついてきたし、何より「やらされてる感」が無くて凄い楽しかったんです。残業もたくさん付けられたので給料も良かったです。

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僕がいたのは中通りでした。

本日の話はここから。
当時はネットもほとんど発展しておりませんで、エロい動画を見るにはビデオテープだったんですよ。(DVDもまだの時代)
んで、お客さんの中にそう言うのの収集家がいましてね、それも俗に言う”無修正”って奴です。30本くらいあったんじゃ無いかな?これがお客さんのロッカーの中に入っているんですよ。
んで、僕たちにも貸してくれましてね、そうなると管理台帳みたいなのが必要になってくる訳です。

僕たちが仕事で使っている共有フォルダに”xlist.xls”と言う謎のExcelファイルがありました。知る人ぞ知るファイル。
その中には、ビデオのタイトル一覧と今誰が借りているかを管理するようになっていました。ご丁寧にその収集家の判断したランク付けもあり、レコメンド機能もあったんですよね。あと見た人の感想を書く欄がありました。

で、みんなでそれを共有しておりました。今思えば完全に違法なビデオを共有していた事になるんですけれど、時代がそう言うのを許していたって感じですね。スマホは無かったけれど楽しかった。

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VHSのビデオテープ。今はもう見る事がなくなりましたね。

確か僕の記憶によれば、そのプロジェクトが終わる際にその収集家がコレクションを放出して僕も2,3本貰って帰ったような気がします。
うーん、お客さんとも喧嘩しなかったし、移動はお客様が工場で駅から遠かったのでタクシー移動(会社からタクシー券が出る)だったし、社食は美味しかったし、悪い思い出は無かった気がします。

うん、楽しかった。
僕がまだ新人同様だったってのもあるし、先輩たちも優しかった。

定時後に、30分くらいみんなで喫煙室でだべってそれを残業時間に含める事が出来た時代でした。

若いお客様2人(男性)がお客様の女性を狙っているのがミエミエで恋の行方を見るのも楽しかったなぁ。
(後日談で、奥手だった方が無事その女性を射止めて結婚したそうです。ガツガツ系はダメだった模様)

あとは、ちょうど定時後に定食屋でご飯を食べていたらTVで酒鬼薔薇聖斗さんの事件がやっており、”報道規制(テレビ局は知っているけれど放送しない)”と言う言葉を知ったのもこの頃ですね。
毎日のようにその定食屋で食べていたので、この事件の進展をリアルタイムで見る事が出来ました。

ちなみに、僕も通っているスナックに狙っている女の子(同い年)もいましたし、人生を謳歌していたような気がします(今思えば、僕は19歳なのにスナックにボトルキープしてました。ヤンチャですね)

時には、夜に”夜のパトロール隊”と称して、みんなで通称”親不孝通り”を練り歩き女性だけで歩いている人達をナンパしまくったりしてました。いやぁ、若かったな。
(これも、あらかじめ”本部”と言うカラオケボックスの部屋を1室借りておき、ナンパに成功したら”本部”に呼ぶって言う方法を取っておりました。今考えたら事件になっているかもしれませんね)

あと、福島から東京には希望すれば会社のお金で毎週土日は帰れたんですよね。ある日、スーツを着て東京に戻ろうとしていた時に、地元雑誌「シティ情報ふくしま」のファッション特集で写真撮影してもらった思い出も。
(僕が雑誌デビューしたのがこの時ですね。ローカル誌でしたが…)

なんかおじさんが語る武勇伝みたいになりましたが、ここで言いたいのは「俺が若い頃は残業なんて当たり前だったぞ!」って言うのでは無くて「僕らの仕事って結構面白いんだぜ!」って事なんですよね。

こう言うエピソードって結構聞いてると楽しかったりするので、年上の人と飲みに行くのも僕は好きだったりするんですよね(もちろん、話術ありきですが)

最近は、プライベートを大事にすると言う傾向がありますが、会社のメンバー集団で遊ぶのも悪く無いよ、って話でした。

では。

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